小説 川崎サイト

 

良い時期


「涼しくなってきましたなあ」
「過ごしやすくなりましたよ。もう暑いのは去りましたからね」
「朝方ひんやりとして、寒いときもありますなあ」
「寝る前、暑い日もありますよ。また少し夏が残っています」
「しかし、もうすっかり秋です」
「はい、過ごしやすい時期は短いですが」
「そうですなあ、秋はすぐに行ってしまったりしますなあ。夏の次にいきなり冬だったりした年も」
「そんな年はないでしょ」
「いやいや、三年前なんて、夏が長引いて秋の中程まで暑かったでしょ。それで、そのあと急激に寒くなった。涼しさを飛び越えてね。あの年は秋がなかった。いやあったかもしれませんが二三日だ。ああ、秋かな、と思えた日はね」
「良い時期は短いということですか」
「良い時期ねえ」
「どの頃が良い時期でしたか」
「気候じゃなくて……ですかな」
「そうです」
「さあ、それは考えたこともないですが、あまり心配事がなかった時期でしょうかなあ」
「じゃ、子供の頃が一番良い時期と」
「まあ、子供の頃は不自由で、早く大人になりたかったので、そんなに良い時期だったとは思えませんよ」
「そうですか。じゃ、いつ頃ですか」
「さあ、金儲けが上手く行っているときは、良い時期でしょ。調子がいいので、多少悪い目、負の目に出合っても、勢いで乗り越えられますからなあ」
「今はどうですか」
「心配事が増えて、あまり良い時期だとは思えませんなあ」
「良い時期は、そんな心配事は乗り越えられるのでしょ」
「実際には良い時期ほど心配事が多かったはずなんですがね。多すぎて麻痺していたんでしょうかな。一つの心配事に集中できませんでしたからね」
「しかし、今の方が心配事が少ないので、良い時期じゃないのですか」
「減った分、比重が高くなる。以前ならすっと流すような心配事でも、今なら暇なので、引っかかってしまう」
「年寄りの取り越し苦労というやつですか」
「ああ、そうかもしれませんなあ。結構のんびりと暮らしているはずなのですがね。小さな心配事が尽きない。規模は非常に小さいのですがね」
「以前は気にならなかったこと、気にしていなかったことが気になるとか」
「それもありますなあ。心配事を無理に見付けたりしているようなものですよ」
「それは大変ですねえ」
「そういった心配事のことを思い出すと、気が滅入るのですが、それらがなくなってしまうと、逆に困ってしまうかもしれませんよ」
「心配事は一つでも消えた方がいいのでは」
「心配事が何もなくなる。これは、本体がどうかしているんですよ」
「本体」
「本人の頭ですよ」
「ああ」
「まあ、その方がずっと良い時期を過ごせるでしょうがね。しかし、それが良い時期だなんて、本人には意識できないでしょう」
「良い季節なのに、暗い話、有り難うございました」
「いえいえ」
 
   了


 



2015年10月1日

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