小説 川崎サイト

 

いい年を経た顔


 岩田は年を取るうちに温和になり、角が取れた。今までは短気で、すぐに苛立ち、露骨に感情を露わにしていた。ただ、嬉しいときや喜んだとき、楽しいときの笑顔は少ない。怒ったときの不快な顔、機嫌の悪いときの顔の方が伸びる。そちらの方が豊かだ。
 性格が優しくなり、素直に人の言うことにも耳を傾けるようになった。これはそれほど年配にならなくても、荒っぽいことをやっていた若者が、青年時代の終わりがけには、そんな角は取れてしまい、人が違ったようになることもある。
 岩田は所謂「良い年の取り方」をしたのだが、それが顔に出ない。
「私は中年あたりから良い年の取り方をしていると言われました。今は年寄りですが、さらに良い年の取り方をしていると、まだ言われます」
 岩田の友人がそう語る。しかし、この友人、悪い奴で、少しも良い年の取り方などしていない。
「良い年の取り方をすると顔に出るのでしょうかねえ、年相当のいい顔だと言われます」
 岩田はそれを聞いていて嘘だと思った。何故ならこの友人は若い頃に出合った頃から仏顔で、最初から温和なのだ。だが考えていることはえげつなく、陰険だった。その後も彼と付き合っているが、その性格は消えていない。逆にますます狡猾になり、その仏顔で多くの人を欺している。
 岩田は彼と同じ悪党グループに所属していたが、年とともに気力が衰え、荒っぽい人から温和な人に本心なっていたのだ。ところが顔がいけない。厳ついのだ。地獄の門の門番のような顔をしている。
 岩田がいくら好意的に、いいことをしても、何か裏があるのではないかと、信じてくれない。その行為や態度は物静かで、荒っぽさがないのだが、顔に出ないのだ。
 一方その旧友は若い頃から慈悲深い顔をしている。しかし、中は夜叉で、未だに悪い奴なのだ。
 生き方や、人生経験や、今までやってきたことが顔に出るというのは嘘だと岩田が考えるのは自分を見れば分かる。
 では、顔の何処に出るのだろうかと岩田は考えた。目付きだろうか。目付きが鋭いとかよく言われたが、最近は人を睨んだことはないが、何もしなくても目が吊り上がり、狐のように鋭いためか、その気がなくても睨んでいるように見られる。これでは年を取っていい顔になったとは言われない。さらに唇が分厚く、貪欲そうだし、鼻はあぐらをかき、横に長い。これがふてぶてしく見られる。
 その友人は悪い年の取り方をしているのだが、顔はますます仏顔で、徳の高い人間に見られる。
 岩田はその友人を見る度に、人生は顔には出ないと確信した。
 
   了



2015年10月11日

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