小説 川崎サイト

 

小器


 小口は器が小さいことを自覚していた。腹も細く、尻の穴も小さい。この器の小ささ、大きさは何処で決まるのだろうか。小器と大器の間に中器もあるのだろうが、そんな言葉は見付からないので、中器は問題にもならず、話題にもならないのだろう。その器に何を入れるのかと小口は考えた。その中身の殆どは人ではないかと結論を得ている。
 器の大きい人ほど人が多い。入れ物が大きいので、入れられる人も多くなるのだろう。人なら何でも詰め込まれているわけではないが。この場合の人とは要するに関係性だろう。その関係に用事や付き合いなどが含まれる。
 小口は自分の器の小ささから、その逆を考えたのだ。小口は一人の人間と接するだけでもプレッシャーのようなものを感じる。接するということは、何等かのイベントが発生するわけだ。
 このイベントの中身は、接することで起こる。これは色々な用件が含まれている。見ているだけではすまないような。
 そう考えると器の大きさとは用件を次々とこなせる人ということになるが、これは少し違うだろう。
 器が大きい人は人間が大きいとされている。大巨人ではないが、懐が広く深いのだ。この懐が入れ物で、それが器となる。
 懐の小ささ、狭さは小口は自覚でき、当てはまる。一人二人の集まりならいいが、五人六人、十人、数十人となると、もういけない。人前で何かを話すなどはとんでもない話で、いつも目立たないところで、静かにしている。
 器量と言うのがある。器にふさわしい量だ。その中身が人なら、人数だ。器量が小さいと、人も入れられない。器の大きな人でも最初から大きな器ではなかったはずだが、大物というのは子供の頃から何となく分かる。
 これは頼りになるか、ならないかでも判断できる。頼りがいのある人と、そうでない人は、話し方や接し方で分かる。
 狭いところでしか見ていない、または細かいところで過剰に反応したりする人は、器量が小さく、こういう人は頼りがいがなかったりする。これは用件にもよるが。
 また器量の良し悪しもある。入れ物が美しいとか、良い器だとか、その入れ物に対する評価もある。当然器量はいいが、中身が悪いこともある。小口は見てくれの器量も悪く、中身も悪い。
 小口は器が小さいので、できるだけ人とは接しないようにしている。これは人付き合いが面倒なのではなく、期待された関係にはなかなかならないためだ。そんなことは気にしなくてもいいのだが、器の小さい人ほど、気にする。要するに頼りにならない人になってしまうのが情けないのだ。
 しかし、小口よりもさらに器の小さな人もいる。それを見るとほっとする。ただ、そういう人とは関わるとろくなことにはならないので、できるだけ避けている。
 器の小さな小口の対処方法は、イベント数を減らすことだ。器量にあったイベントなら何とかなるが、大した用件ではなかったりする。
 器の小さな人は小者とも言われる。しかし、小者とは、小物入れのように小さな入れ物なのだが、最近その底が意外と深いことに気付いた。横幅が伸びない分、縦に伸びるのだ。
 それは人の奥底を覗く、いやなタイプの人間だということかもしれないし、非常に奥深い想像ができる思慮深い人かもしれない。
 実際には底が深いのではなく、底が破れているだけかもしれない。
 
   了

 




2015年10月18日

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