小説 川崎サイト

 

散歩コース


 いつも自転車で走っている道が橋本にはある。特にそこを通らなくてもいいのだが、いつの間にか同じコースになっている。一本道ではなく、複数の道が並行して走っていたり、交わったり、また枝分かれしている。そのため、色々なコース取りが可能だ。急ぐときは一番時間のかからないコースを選べばいいのだが、これは予定が狂ったときに発生しやすい。何時までに戻らないといけないようなことでもないようだが。
 橋本はある日、道について考えてみた。これは沿道風景と関係してくることが分かった。当然自転車で走りやすい道も条件になるが、そこを通りたいと思えることが優先されるようだ。そのため、道が良くても沿道が悪ければ、その道には入り込まない。これは絶対的なものではなく、何かの都合、例えば工事などやっていると面倒なので、直進するところを曲がったりする。迂回だ。
 前方には道がある。その先を見ると、真っ直ぐな道なら、かなり遠くまで見ることができるのだが、元気のいいときによく見るようだ。
 特に左右の風景に興味がなければ、少し前方の路面を見ている。このとき、沿道ではなく、道そのものを見ている。特に舗装されていない道は注意深く見る。障害物は滅多に落ちていないが、台風のあとなど、木の枝が落ちていたりする。
 左右を見るとき、左側の景色の方がいいときは、左側ばかりを見る。そのため、右側は無視だ。それらは別に見ても見なくても何の影響もないので、好きなものを見ればいいらしい。
 こうして道や沿道を見ているときは気持ちが落ち着いているときだろう。風景がしっかりと見える。木の葉の艶や、幹の質感などがしっかりと目に書き込まれるように。また、赤い屋根瓦が目に鮮やかに写ったりもする。
 ところが、そういうものが見えているのに、見ていない日がある。これは落ち着きのない日だ。心配事とか、考え事とかがあるときだろう。見えているのは沿道だが、目に浮かんでいるのは色々なシーンだ。過去のシーンもあるし、セリフ入りのドラマチックなシーンもあるし、またまだ起こっていない未来を予測したような、予告編のようなシーンもある。
 この予告編のようなシーンが浮かび上がるときは、色々な予測をしているときだろう。ただの想像だ。
 橋本はその日、いつも入り込まない道へハンドルを切った。これは元気な証拠だ。何か積極的な姿勢でいるときに、それが起こりやすい。あちら側へ行ってみようとか、あの道の裏側へ回ってみようとかだ。
 今日の橋本は自転車散歩について考えてみた。そしていつものコースがどうして決まったのかについても。これは散歩に出て散歩について考えるわけだから、散歩をしているのだが、散歩をしていないのかもしれない。それも含めての散歩だろうが、コースは散満ではなくなっている。
 いつの間にか決まってしまったそのコース。すっかり日常化し、退屈なこともあるが、自分の一部のようになっているらしい。
 
   了

 

 


2015年10月20日

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