小説 川崎サイト

 

験と縁


「験を担ぐ人がいますなあ」
「験ですか」
「縁起のようなものです。験がいいとか悪いとか」
「占いのようなのですか」
「そうですなあ。占いが廃れないのは先が読めないからでしょ。まあ、なるようにしてなるもので、また、ならないものです。最終的な結果は分かっていても、その過程が分からなかったりします」
「先が読めないので、験を担ぐわけですか」
「判断が難しいときもそうですが、まあおおよそ分かるでしょ。どうすればいいのかが」
「そうですよ。占わなくても、考えれば判断が付きますよ」
「頭ではそうでも、そのプロセスをこなす段になると、何か気が進まないとか、今はその時期じゃないと、先延ばしたりします」
「そうですねえ、頭では分かっていても、行動が伴わないです。それに、自分で下した判断を疑い出したりします。間違っているのではないかと」
「要するに験担ぎとは、後押しなんです。背中を押してもらうようなものです」
「運命のようなものですか」
「そこまで大袈裟なものではなく、一寸した流れでしょうねえ」
「流れ」
「現実の具体的な流れとは別に精神的な流れがあるのです。気が向かないとか、気が乗らないとか。まあ、気持ちの問題でしょう」
「それと験とはどう関係します?」
「これは神秘事です」
「はい、当然そうです」
「神秘事が欲しいのです」
「ほう」
「天意のような」
「啓示のようなものですね」
「験担ぎはもう一つの流れなんです。現実の流れとは別のね」
「験って、何でした?」
「縁のようなものでしょ」
「はあ、漠然としていますねえ」
「この縁起や験は、インスピレーションや直感とはまた違っています。具体的な流れの中に出て来ます」
「ほう」
「それは連続した流れの中に出て来るのですが、順番です」
「順番。何の?」
「だから、あることをやっていると、思わぬ流れになることがあります。予定外、予想外のことが起こります。プログラムにはなかったようなプロセスが加わったり、次の過程へ移るとき、その幅が広すぎて、もう一段何かを入れないと飛び越せなかったりとかします」
「それはよくあることでしょ」
「現実とは、実際にやってみないと分からないものです」
「そうですねえ」
「想像していた話とは別の話になったり、違う過程を経て進むこともあります。動いた分、現実も変わるのです。ここです」
「え、どこです」
「動く前の現実と、動いてからの現実とでは、現実の様が違ってきます」
「そうですねえ。まあ、それぐらいは予測できるでしょ」
「ただ、その予測の幅が広いと、話の展開が違ってきます。先読みというのがありますが、それらは今の時点での未来で、一つ先の未来に踏み込むと、状況が違ってくるのですよ」
「それと験担ぎとはどう関係します」
「これは大まかな方向でしょう」
「験のいい方へ行くのがですか」
「それは占いでの未来予測ではなく、縁が縁を呼ぶようなものです。縁の連鎖、これです。誰が作った物語かは分かりませんが、実によく出来たお話になります。これは全てが終わってから見ると、なるようにしてなったと思えます。そのなるようになるですが、どうなるのかは最初は分からない。これをすると何が次に来るのかは分からなかったりします」
「そのお話しそのものが、よく分からなくなりました」
「ああ、すみません。先走ってしまいました」
「要するに、どういうことですか」
「世の中、なるようになると言うことです」
「それと験担ぎとはどう関係しますか」
「これはセンサーのようなものです。物事をやっているうちに色々と問題が出て来たりします。そんなとき、縁起のいい方を選ぶ程度です。ただ、これは主観的なものですがね。悪いことでも験のいいこととして受け取れることもありますから」
「まだ、何かよく分かりませんが」
「縁起の秘密は順番にあります。この順番、実に現実的です。それに身を任せるのがよろしいかと。一つ一つのエピソードには必然性があります。想像で作ったものではなく、自然に湧き出してくるのでしょうなあ」
「験の良さとは何でしょう」
「望んでいる方向を指し示す程度です。験は験を指し続けます」
「もう分からなくなりました」
「まあ、それらは気休めのようなものですよ」
「あ、はい」
 
   了


 

 


2015年10月21日

小説 川崎サイト