小説 川崎サイト

 

褒め殺し


 褒められるとさらに褒められようとする人と、褒められると、やっと認めてもらえたと思い、そこで満足してしまう人がいる。当然この二つのタイプだけではないが、褒め殺しで殺される人もいれば、さらに活かされる人もいる。
 高倉は褒められるとプレッシャーがかかるタイプで、褒められもけなされもしない状態の方がいいペースでいけるようだ。褒められると、次も期待されるからだ。それよりも、まったく期待されていないのに、良い仕事をし、そこで褒められるのがいい。ただ、次の期待がないような。
 それは褒められるとそこで満足してしまい、止まってしまうことが多い。褒められるのは快感だ。そのため、また褒められて、その快感を得ようとする。非常に建設的でいいのだが、人は前向きばかりで進んでいるわけではない。止まったり後退したりする。
 褒められても何も出ないことがあるので、褒める側の出費はない。だからいくらでも褒め言葉を連発できる。また、褒める側も叱るより、気持ちがいいだろう。しかし快感の連鎖は苦痛を伴うこともあるようで、高倉は一度その目に遭い、それからは自分のペースを守ることにしている。
 確かに褒められると嬉しいが「しまった、また褒められてしまった」と眉を顰める。
 逆境とか、反骨心とか、そちらの方が高倉には合っているのだろう。褒められると全てが終わってしまうような気がする。ただし、褒め言葉ではなく、褒美がもらえたりするのなら問題はない。言葉ではなく、具体的な報酬だ。これは褒められるためにやっているのではなく、報酬や仕事でやっていることになり、非常に当たり前の話になる。
 その高倉も地位が上がり、部下を持つようになった。褒めたいこともあるのだが、職場に褒め合いブームが起こり、褒め倒す風潮ができてしまったため、迂闊に褒められない。あまり緊迫した職種ではないためだろう。
 それで、いくら褒めても嘘を言っているように思われるようになった。
 職場は和気藹々とやっているような雰囲気はあるが、何か嘘臭い。
 そして、本当に褒められるようなことをしても、値打ちがなくなってしまった。いつも褒められるため、相場が下がったのだろう。
 しかし、言葉は優しくなり、態度も優しくなったが、その中身は同じだ。
 高倉が若い頃は叱られっぱなし、けなされっぱなしで、滅多に褒められたことはない。褒められるような仕事をしても、できて当然のように言われた。だから面と向かって褒めらるようなことはなかった。そのためか、褒められるのはゴールなのだ。
 今も高倉はよく褒められる。しかし、褒美は出ない。それが不満だ。
 しかしよく考えると、褒美や褒賞がもらえるようなことなど最近やっていないようだ。
 
   了




2015年10月25日

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