小説 川崎サイト

 

喫茶店の席


 元山は毎日喫茶店へ行っているのだが、ある日、余計なことを考えた。考えなくてもいいようなことだが、少しだけ気になっていることがある。それを気にしても別段何かが変わるわけでもないし、また困るようなこともない。それは席だ。
 いつも座る席が空いていなくても困らない。しかし満席だと困る。だが、そんな状態になったことは一度もないので、これは心配しなくてもいい。早く来ないと席がないのなら、席について考えてもいい。しかし何処かに座れるのだから、問題はない。
 いつもの席があるのだが、誰かが先に座っていることがある。その時間帯の常連客ばかりだと、いつもその席は空いている。だから元山はそこに座ることが多い。そうでない日は早く行きすぎたり、遅く着くときだ。時間帯により常連さんが違ったり、一見さんや、たまに来る人が座っている。
 同じ時間に来ても、常連さんが同じ席に座っているとは限らない。例えば同時に店の前に来たとしても、ドアを開けるとき、既に順番ができてしまう。さっと入れば同時到着でも、そこで抜ける。そんなドア前でのゴール争いをしている絵は見たことはないが、ほんの一瞬の差はよくある。これは駅から降りてきて、喫茶店までの途中で、同じスピードで歩けない何かがあったとかで決まる。例えば信号待ちだ。また改札から抜けるとき、混んでいたとか、駅前で煙草を買ったとか、様々な理由が重なり、喫茶店のドア前到着時間は数秒から数分のずれが生じるはずだ。この差で同じ時間帯に来ている常連さん達に時間のずれが生じ、それが席になって現れる。
 当然駅からの道や、家からの道での時間的ズレだけではなく、家を出る時間が少しだけ遅れたとか、早かったとかもあるだろう。時計を見てから出る場合も、秒までは見ないはず。
 元山が来ている時間帯の常連さんの席は、朝一番に来ても、少しだけ場所が違う。それぞれ、何等かの事情があるためだ。
 そういう元山も起きる時間が遅れると遅い目にドア前に着くし、早ければ早い目。十分ほどの誤差なら、店内の様子はそれほど変わっていないが、いつもの自分の席に人がいるときもある。この人は計算できない人で、毎日来ているわけではない。ただ、奥の一番隅っこの席が好きなようで、好んでそこに座っているようだ。他の常連客はそこには座らない。元山の席のためだ。しかし他に座るところがない日は、その限りではない。
 いつもの常連さんが少し遅れたのだろうか、いつもと違う席にいるとき、妙なものを見た思いに元山はなる。そういう絵に馴染みがないためだ。遅れたのだろうが、その事情は一切分からない。聞くほどのことでもないし、相手も説明するようなことでもないだろう。
 朝の喫茶店でコーヒーを飲みに入る態度なので、遅刻がどうのの問題ではない。遅刻しそうなほどなら、喫茶店をパスして、仕事先へ直行するだろう。
 遅れた事情や、逆に早い目に着ている人の事情、それは実は大変なことがあったのかもしれないし、来るまでの道筋での単純な事情かもしれない。
 それらは偶然性の問題だが、今日はどの席に座っているのかで、変化のあとが窺われる。しかし、この変化には大した意味はないし、大きな問題に発展するようなことではない。
 それぞれの人が日記を書いていたとしても、喫茶店に入ったとは書くことがあっても、どの席に座ったかまでは書かないだろう。些細なことで、大事なことではないからだ。
 喫茶店内での席が違っていたり、来ていなかったり、また、見知らぬ人が来ていたりと、それなりの変化はあるが、とるになりぬ変化だ。
 しかし元山は、その僅かな前後関係や、人の流れの一寸した違いに、何等かの含みを感じている。含まれている中身は知りようがないし、聞くようなことでもないが、芝居の台本のように、その出と入りや立ち位置がしっかりと決まっていないことだけは確かなようだ。
 決してそれは不思議なことではないのだが、少しだけ気になるらしい。
 
   了




2015年10月26日

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