個的キルケゴール
「キルケゴールはどうなりました」
「え」
「キルケゴールとかニーチェです」
「ああ、いましたねえ、キルケゴール。久しくそんな人のことなど忘れていましたよ。出てくる機会がない」
「死に至る病、不安の概念、どれも今風なタイトルじゃないですか」
「読まれましたか」
「いえ、タイトルだけ」
「じゃ、どうしてキルケゴールを思い出したのですか」
「語呂です」
「キルケゴールで駄洒落とかを」
「いや、そうじゃなく、色々なことを思い出したり考えている最中、いきなりキルケゴールって言葉が浮かんだのですよ。意味より先に言葉がね」
「言葉というより人名ですねえ」
「このキルケゴールという語呂が好きだったのです。それで覚えていたんでしょうねえ」
「要約すると、どんな人ですか」
「そこまで知りませんが、デンマークの人らしいです」
「哲学者でしょ」
「暗そうな話ですよ。タイトルだけでも、これは重病人だと思いましたよ」
「どんな思想です」
「完結にいえば実存主義です」
「それじゃサルトルなんかの方が有名ですねえ」
「デカンショ節って、あるでしょ」
「あります。昔の学生が歌っていた歌でしょ」
「あの節は民謡か何かの替え歌なんです。デカルト、カント、ショーペンハウアーを半年読み、あとの半年は寝て暮らすとかの歌詞です」
「それで」
「デカルト、カントは有名ですが、ショーペンハウアーって知らないでしょ」
「聞いたことはありますよ」
「キルケゴールもその口なんです。中身の話じゃないのすよ。そんな人もいたなってところが似ているんです。ニーチェは有名ですが、キルケゴールはそれほどでもない。だから解説本も少ないし、取り上げる人も少ない。ここです」
「え、何がです」
「意味などどうでもいいのです。どう扱われていたかで、または知名度などでの穴場があるのです。決して手垢が付いていないというわけじゃないですよ」
「何でしょう、それは」
「キルケゴールの暗さが溜まらなく可笑しいのです。読んでいないのでよく分かりませんがね。暗そうでしょ。哲学バトルでキルケゴールはどうなったかは分かりませんが」
「本も読んでいないのに、どうしてキルケゴールなのですか」
「私の中でのキルケゴールという位置があるのでしょうねえ。普段まったく思い出しもしないし、興味もない。共鳴するとかしないとかも、読んでいないので分からない。しかし、キルケゴールって言葉に存在感があるのです。どう存在しているのかは私だけの錯覚のようなものです」
「それは正しい学習方法だとは思えませんよ。読書法が悪いと言うより、読まれていないのでしょ」
「そうです。だからいいのです。タイトルだけで、おそらくこの人はこんなことを言っているんじゃないかと想像するのです」
「死に至る病、あれかこれか、不安の概念。もうこのタイトルだけで十分でしょ」
「アカデミックではない話ですねえ」
「はい、私的な話です」
キルケゴールの個的実存主義とは、このことかどうかは分からない。
了
2015年10月29日