小説 川崎サイト

 

魔術と魔法


 怪しいものは正体が分かってしまうと何でもないことだったりするが、その間、色々と想像し、この世の原理ではないようなものが作動しているのではないかとか、やはりもう一つの世界と何処かで繋がっているようだとか、あらぬ事を考える。当然その前に、これは何等かの現実的な原因であることはうすうす分かっていることなのかもしれないが。
 怪現象と同じように人の気持ちや考えが分からないことがある。人の思惑は怪現象ではないが、聞くまでは謎のままだ。
 怪人は姿形や行為こそ怪しいが、何を考えているのかはおおよそ分かったりする。きっと怪しげなことを思っているに違いないと。これも現実的に実現可能な範囲内で、人知内での話だろう。ただ人としての行動とは言いがたい大変な行為もあるが。
 超能力のようなことを魔術師がやってしまえることもある。この場合魔術でありトリックやコツやタネがあることを言わなければ超能力者だろう。一般の人が見た場合、どうやってそんなことができるのか、まったく手がかりさえないからだ。
 魔術師と魔法使いとは違う。魔術は術で、テクニック、技術なのだ。魔法使いは実在しない。これは方法が全く違うからだ。
 魔術もトリックが分かってしまうと何でもないことなのだが、分からない場合、魔法のように思えてしまう。つまり魔法だ。
 もし魔法使いがいたとして、自分は魔術師だと名乗り、魔術を披露した場合、これはトリックがあるとみなされる。実際には魔法を掛けているのだが。
 しかし、そんな魔法使いがいたとすれば世の中を簡単に変えてしまえるだろう。
 いずれにしてもトリックや正体が分かると、神秘のベールが剥がれてしまう。これは正体を見なかったほうがよい場合もある。いつまでも遠い存在でいるほうがバランスが良かったりする。
 そのため、魔法でなくても、神仏は存在し続けている。そんなものは生物的にいないと分かっていても、そういう距離感のあるものが必要なためだろう。
 
   了



2015年11月3日

小説 川崎サイト