小説 川崎サイト

 

憩の里


「最近何か憩いはありませんか」
「イコイですか」
「ええ、憩えることです」
「そうですなあ。大したネタはありませんが、ご飯を食べたあととか」
「あと」
「満腹したときとか、憩えます。動けなくなるほど食べませんがね」
「それは安上がりですねえ」
「昼寝もそうです。眠くなくても横になります。日の半ばの一休みですが、横になるのですから、これはかなり贅沢な休み方ですよ。まあ、寝るときもお休みなさいと言うでしょ。寝てしまうと休んでいることになります。しかし、一眠りと、一休みは違います」
「そういう話ではなく、憩の話を」
「だから、特別なことをしなくても、憩えるのです」
「安上がりでいいですねえ」
「安い。これは安らげるということですからね。値段的にも」
「じゃ、あまり高い買い物はしないのですね」
「高いと気も休まらないでしょ。ここで高いものを買うと、その後影響します。月末の食費が貧しくなったりとかね。倹約するわけじゃないですが、一寸したことでお金がいるかもしれない。大金じゃなく、一寸したね。例えば自転車がパンクした。これなら軽いですが、余計な出品です。まあ、パンクぐらいはするでしょうから、とんでもないことでお金を使ったわけじゃないですがね。パンクじゃすまないでチューブの交換。それでもすまないでタイヤ交換。こういうとき、普段使っている財布からでは出ない金額になります」
「そういう話ではなく、憩の」
「はい、だから、安いものを買うときは気楽です。あまりその後、影響を与えない。それに安くすんだことで、ほっとする。安いというのも憩の一種です」
「憩える場所とかありますか」
「精神状態によるでしょうなあ。同じ場所でも」
「うちの憩の里は大丈夫です」
「何が」
「うちに来られた人は皆さん憩われています。ソファーや椅子もゆったりとしていますし」
「だから、そんなところへお金を使って出掛けなくても、ご飯を食べたあと憩えると言っているでしょ」
「それはほんの僅かでしょ」
「憩というのは一寸でいいのですよ。憩いすぎると、次のことがしたくなくなりますからね」
「他にどんなところで憩われます」
「和やかなものに接したときでしょうかねえ。しかしこれは作為的には作れない。偶然そういうシーンと日常内で遭遇することがあります」
「はあ、そうですか」
「まあ、体調が良くて、心配事が少なくて、晴れて天気のいい日、その辺を歩いてるときも、憩えますよ」
「カタログだけ、置いていきます」
「どうせゴミ箱行きなので、もったいないので、出さなくても結構です」
「いえいえ、鞄が少しだけ、軽くなりますから」
「あ、そう。帰ってからパンフレットの減り方を調べられるわけ」
「そんなことはありませんが」
「まあ、私のような隠居さんより、忙しく働いている人に憩は必要でしょう。これ以上憩いたい場合は、永遠の憩になりますからね」
「はい、失礼しました」
 
   了


2015年11月7日

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