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午郞の渡し
大きな平野の端の町で、すぐそこに山が迫り、その切れ目に川が通っている。山際まで住宅が建っているのだが、その少し手前に、昔からあるような町がある。その周囲は殆どが旧農村で、その町だけが町屋が残っていたりする。寺社も村風ではないものがいくつか屋根を見せている。郊外にある小さな町なのだが、歴史は古い。
町は川沿いにあり、そこにスナックなどの飲み屋が結構集まっている。その一軒の食堂でおでんのすじ肉を肴に田中はにこやかな顔をしていた。飲むとそういう顔になるだけだ。客は田中しかいないためか、亭主が話しかけてきた。
「良いところでしょ。こんな町がまだ残っているんですよ」
「初めて来ました。一寸粋な店が多いですねえ。こんな郊外で駅前でもないのに」
「ここは午郞がいるんですよ」
「ゴロウ」
「カッパです」
いきなりそんな話を始めたのは、この亭主のオハコのためだろう。
「カッパがいるのかい」
「この先の上流に午郞の渡しがありましてね。その渡し舟を午郞が揺らすんです。そして客や牛を川に引っ張り込むんですよ」
「ああ、それは言い伝えですね」
「そうです」
「何故ゴロウなんですか」
「午郞は牛と書きましてね。三郎四郎五郎の五郎じゃないですよ」
「牛男ですか」
「いや、牛を引っ張り込むカッパなので、午郞カッパと書くのです」
「何でしょう。そんなカッパが本当にいたのですか」
「昔の人は、そういうのを見たと言ってますよ。しかし、下手な船頭が漕ぐと揺れるんです。一寸流れがありますからね。そこを横切るわけですから」
「じゃ、上手い船頭だとカッパは出ない」
「そういうことです」
「その渡し場、見たいなあ」
「まだありますよ。十年ほど前まで、本当に渡していましたが、もうそんな時代じゃない。橋もありますしね」
「でも十年前まで渡していたとしても珍しいですねえ。牛なんて乗せると、沈みませんか」
「結構大きな舟でしたからね。筏もあったとか。もう牛を運ぶ人なんていませんから、大昔の話ですよ」
「しかし、ここ、こういう店が多いですが、元は何だったのです。スナックが多いです」
「ああ、ここは寄場だったんです」
「寄場」
「まあ流れ者のたまり場のようなものですよ」
「それで、町ができたのですか」
「船着き場がありましたからね。港ですよ。今で言う水運です。もちろん陸運もやってましたよ」
「川港ですね」
「そうそう。だから宿屋や遊ぶところとかもあったとか」
「変な場所だと思っていました。周りは普通の農村でしょ」
「まだ、残っていますよ。あちら様とは家業が全く違いますがね」
夕暮れが過ぎ、暗くなってきているのだが、田中は食堂を出て、狭い川筋の飲み屋街を抜け、土手に上がって、川上へ向かった。渡し場の跡があるらしいので、それを見に行くためだ。午郞カッパと合うかもしれないと、酔いも手伝って、あらぬものがあるように思えたわけではないが。
土手は町明りや外灯で結構明るく、それに西の空に明かりが少しだけ残っている。
川は思ったより幅はあるが、実際に流れているところは狭い。洪水を恐れて河原を多く取ったのだろう。
その土手の向こうに二本の松がある。一本はもう枯れているようだ。そこから河原、今の河川敷のことだが、そこへ降りて行けば渡し場があるらしい。
二本松の土手へ上がる道があり、これは古そうだ。この辺りは昔の寄場町ではなく、土地の人が使っている村の道だろう。川を渡るための。
田中は二本松から土手を降りた。緩やかなスロープだ。道の両脇は繁みで、ここまで水が来ることは先ずないだろう。
そして、渡し場へ続くはずの道を川岸へ向かっていると、小屋が見えてきた。これが渡し場跡だろう。
それよりも午郞カッパが、この辺りにいるのではないかと、田中はキョロキョロ見回した。そんなカッパなどいないと知りながらも、雰囲気的にいそうなのだ。繁みの中で舟に乗る人をじっと覗いているような。
小屋に着くと、崩れていないし、撤去もされていない。十年前まで、実際に渡していたというのだから、そんなものだろう。
田中は桟橋を見ると、そこに舟がある。そのまま放置されているとは思えない。浮かんでいるのだ。
「乗りなさるか」
急に小屋から声がする。そこで寝転んでいた船頭が起きてきたのだ。
「カッパが出ると聞きましたが」
「ああ、それは下手な船頭が漕ぐから出るので、わしなら大丈夫」
「向こう岸に何があります」
「学校や病院がある。橋ができてから、土手を運動着の生徒が走っておる。あれは高校だろう」
「じゃ、高校へ通う生徒が、この渡しを使っていたとかは」
「ああ、自転車ごと運んでやったよ。もう昔のことじゃ」
「どのくらい」
「十年」
流石に田中は渡してもらうのを断った。渡し場を見学に来ただけだと言い訳し、土手道へ急いで駆け上がった。すると、河原からケッケッケッとカッパのような笑い声が聞こえた。ただし、田中はカッパの鳴き声など聞いたことはないが。
再び、あの食堂へ戻った田中は、青い顔をしていた。
「出ました」
「午郞カッパが出ましたかな」
「いえ、船頭が」
「それは初耳だ」
「渡し場はまだやっているのですか」
「十年前になくなったと言ったでしょ」
「ありました」
「え」
「小屋も、舟も」
「それは珍しい」
「珍しいとか、そう言うことじゃないでしょ」
「本当に見た？」
「はい」
「誰だろう。小屋はまだあるし、舟もまだあるけど、船頭はいないはず。しかも日が暮れると、もう出さない」
「はい」
「だから、誰かなあと考えたんだ。そんな悪さをするやつは」
「そうですよね。渡し場幽霊じゃないですよね」
「頭に手ぬぐいを掛けた女は見なかったかい」
「見ません。何ですか、その人」
「夜鷹だ」
「え」
「ゴザを丸めて持っていたりする」
「鳥じゃないですよね」
「そうだ」
「いろんな出し物が出ますねえ」
「ああ、元、寄席場だけにね」
了
2015年11月19日