小説 川崎サイト

 

ある小春日和


 よく晴れた晩秋、それなりに暖かく、風もなく、穏やかな小春日和。和田は何処かへ出掛けたくなった。天気予報を見ると、晴れているのは夕方までで、翌日からは三日ほど雨が降るらしい。出掛けるのなら、今だろう。
 朝、起きたばかりの和田は、さて、何処へ向かおうかと考えた。平日なので行楽地も混んでいないが、行きたいと思えるところがない。遠い場所ならあるが、それでは旅行になる。一寸長い目の散歩でいいのだ。
 その気が起こったのは違うところへ立ってみたいためかもしれない。決して立ちっぱなしではないは、違う風景の中にいたいのだろう。これは日常の話ではなく、別枠の話の中に入りたい。そこへ少し入って、さっと出て来るような。
 こういうとき、やはり家で居た方がよかった、となるため、あまりハードな場所ではなく、楽な場所で、地味なところがいい。
 そうなると、山際にある寺社となる。今なら紅葉が見事だろう。近所でも紅葉は見られるが、山上から見たい。足元に紅葉、その向こうに町並み、そして海。そんな絵が見たいのだ。
 しかし、寺社なら山裾で済むが、本気で山を登るとなるとハイキングになる。それほど高い山ではないので登りきりたくなる。つまり途中で引き返すのではなく、頂上まで。
 だが、これは危険な行為なのだ。登り切れたとしても、おそらくそこで体力を使い果たしているはずで、今度は降りられない恐れがある。
 山頂にバスでも走っていれば別だが、下山は意外と体力を使う。和田は登りは得意だが、下りは苦手なのだ。先ず膝をやられる。痛くなると、歩くのが大変だ。それに下りはスピードが出る。それに痛い足、この場合、膝だが、それが追従してくれない。だから体力よりも膝の痛さで疲れる。
 それに下りは、もう戻るだけ、目的地は山の下の駅。そこに何かいいことが待っているわけではないが、食堂ぐらいはあるだろう。何か贅沢なものでも食べる程度の楽しみしかない。
 登るときは、しっかりとした目的がある。山を征服するような。
 それを考えると、山は遠慮したくなる。やはりその下にある寺社程度だろうか。だが、ここは何度か行っているが、退屈な場所で、大したことはない。
 日常内の話ではなく、外の話に乗りたかったのだが条件に合う場所がない。
 内湯と外湯の違いのようなもので、和田はたまには外湯に入りたい。一寸出掛ける。それだけのことだが、なかなか出られない。
 小春日和は短い。和田はもう何も考えないで、駅へと向かった。
 それで、満足の得る小春日和の行楽になったかどうかは分からない。
 
   了

 


2015年11月20日

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