小説 川崎サイト

 

エレキテル


 これはおかしい、これは妙だ。これは異常だ。これは危ない。などは刺激的で、全身全霊で受け止めたりするため、生きている心地がするのだろう。実際には危ないので、生きた心地はしないのだが、生きている実感とは危機を脱したときほど感じやすい。
 というようなことを考えているとき、妖怪博士付きの編集者がやってきた。また下世話で稚拙な話をしないといけないだろう。
「今日は魂についてです」
「霊魂かね」
「はい」
「それはもう、色々なところで語り尽くされているので、私が付け足すことなどない。太古の民族から、ギリシャの哲学者まで語っておる。霊魂を語らない民族はない」
「魂とは何でしょう」
「感情だろう」
「え。あっさりとそれで済ませていいのですか」
「気持ちでもいい」
「どうしてですか」
「魂を震わす歌。魂を揺さぶられる出来事。いずれも魂を感情に置き換えれば、すんなりする」
「じゃ、魂は何処にあるのですか」
「臍の緒のように、魂の尾があって、肉体と繋がっておるとか言うがな」
「器官としては何処でしょうか。心臓とか、脳とか?」
「器官なき身体と言っていた哲学者もおる。最近の人だ。これが当たっているかもしれん。任意の器官ではなく、任意の肉体的箇所ではなく」
「はい」
「例えば人が死んだ瞬間、水が出る」
「そうなんですか」
「病院で亡くなったときは、シーツが濡れておる」
「やはり何か、入っていたのですね」
「だから、死にいく人には末期の水を与えないといけない」
「はい」
「それは冗談だ」
「またまた」
「魂を込めた作品。これも感情を込めた、気持ちを込めたで言い換えられる」
「そうですねえ。しかし、魂は感情だとしてもですよ先生、本体が消えても魂が残るとなると、感情は何処で発生するのでしょうか」
「感情だけが浮いておるんだろ」
「じゃ、主体なき感情ですか」
「器官なき感情だ」
「それは、ただのエネルギー体のようなものですね」
「それを魂と呼んでおる」
「魂は魂で、別にあるんじゃないのですか」
「感情の強いのが魂だとすればいい」
「感情ですか」
「気持ちでもいい。だから魂を磨くとは、そういった感情面を磨くと言ってもいい」
「感情は瞬間的な出来物ですが、魂は本体が入っているはずです。だから、感情と魂は違うのではありませんか」
「ありませんか、か」
「はい」
「感情がなければ自覚できん。生きているのか、死んでいるのかも分からん。だから、感情はメインだ」
「本当ですか」
「ただの想像だよ。だから、妖怪も人々の感情が作り上げたもの。そこで発生したもの。だから、その感情に何らかの有機体が絡んだとき、具体的な姿となって立ち現れる」
「でも、そんなことは有り得ませんねえ」
「ないのう。しかし、現実にはなかっても、感情的にはあるように見える。だから、幽霊も妖怪もいるのだ」
「感情は物質的には何でしょうか」
「ああ、それはエレキかもしれん」
「電気ですか」
「気だろう。電気が何故生じるのかを考えればいいが、私はそのあたりに詳しくない」
「静電気なら分かりやすいですよ」
「接触だな」
「では、感情が電気だとすれば、雷のようなものですか」
「わずかに電気を帯びているだけなので、大したことはない。ここにチリなどが絡むと、物質的な動きとなる」
「何か、物質や星の誕生のようですねえ。ガスの発生から始まるような」
「ガスは何処から発生するかだ」
「宇宙の謎に至りますねえ」
「しかし、それらを知るには感情がいる。感覚や、それを方向付ける感情がな。これはおそらく、脳の中で電気が走っておるのかもしれん」、
「しかし、先生、霊魂感情論、面白そうです」
「大昔からあるわい」
「そうでしたか」
「エレキテルの時代に戻ってしまうがな」
「はい」
「電気の話をしていると、家電店へ行きたくなった」
「あ、はい」
 
   了

 



2015年11月27日

小説 川崎サイト