小説 川崎サイト

 

昔の人達


 これは不思議でも何でもないのだが、二百年前、三百年前、そこで暮らしていた人達は、どんな感じだったのかと、竹村は考える。そんなことを思うようになったのは、暇なのか、あるいは急に気になったのかは分からないが、若い頃には思わなかった。人には興味があり、興味どころか、色々な人との絡みで生きているようなものなので、それらの人々に関する情報は大事だ。実際に関係があるためで、一寸した認識や判断の違いで、人生が左右されるかもしれない。
 実際には絡まなくても、知っているだけの人々がいる。メディアなどによく出ている人達だ。テレビの方がリアルな関係の人間よりもクローズアップされ、細かいところまで、見えたりする。
 また、歴史上の人物に関してもそうで、関わりは持たないのだが、イメージ的に存在している。
 ところが竹村の住む住宅地、以前は田畑だったらしいが、調べてみると鎌倉以前からあった村のようだ。
 鎌倉から今に至るまでの一ヶ村だけの記録は少ない。竹村は図書館で市の歴史を見たが、有名人しか出てこない。ましてや一つの小さな村になると、その歴史は古い農家に残る古文書程度だろう。また、祭りなどで残っているかもしれないが、そういうことではなく、どんな暮らしをしており、どんな感情でいたのかだ。
 竹村の住む家も、以前、田圃だったとしても、耕していた人達がいたはずで、それも一人や二人ではない。鎌倉時代から数えると、かなりの人数になる。
 この田圃を売った農家の先祖代々が、立っていたことになる。田圃は同じでも、別の農家に変わったりしたかもしれないが、耕し続けていた人達がいたはずだ。
 鎌倉の前は笹原だったようで、その前は原生林、つまり、森だったようだ。石器時代の遺跡はない。
 しかし、人が棲み着き、農作を始めてから、多くの人達がこの土地の上に乗っていたのは確かだ。庭を掘れば田圃だった頃以前の層にぶつかり、何か出てくるかもしれない。
 それらの人々は、おそらく平凡な人達で、普通に暮らしていたのだろう。気になるのは、その感情面だ。何を思いながら生きてきたのかだ。これは歴史上の人物なら、その心理が分かるような手がかりがあったりするし、また日記や手紙などが残っていたりするし、何をした人なのかが分かっているので、何を考えていたのかも、何となく分かる。
 庶民というか、一般人、これは、名もない武将も、それに近いかもしれないが、それらの暮らしぶりはどうだったのだろう。ベースとなるものが、今と似たようなものなら、似たような感情を持っていたに違いない。ただ、民謡などに、多少は当時の心的なことが出ているかもしれないし、文芸と言うほどではないが、歌とかに残っていたりする。だから、まったく手がかりがないわけではないが。
 要するに竹村がそんなことを考えたのは、見知らぬ人達に対しての好奇心が出たからだ。知っている人でもなく、有名な人でもなく、何も残さず、土に戻った人達だ。ただ、それらの人達が生きていた時代、竹村の家と同じ場所で鍬を持ったり、牛を使ったり、野良で弁当を食べていたはずだ。
 夜中、布団の中で、そんなことを考えると、縁の下から歴代の人達が湧き出すわけではないが、竹村が生きている時代なども、鎌倉時代から見ると、極めて短い時間だと感じてしまう。
 そして、きっとのこの感情は、大昔の人達も同じではないかと。
 さて、竹村が気になった昔の人達の感情や暮らしぶりの話だが、これはやはり今を基準にしたものになってしまうようだ。そして結論だが、人間の感情生活は、それほど今と変わらないように思える。これは、ベースのシステムが同じためだろう。
 
   了




2015年11月29日

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