小説 川崎サイト

 

満足のいく人生


「私は貧しいまま一生を送っていた方が良かったかもしれない」
 神社の境内。あまり人は入り込まないのだが、地元の人がお参りに来る。これはいつも決まった人だ。
 老人は少年に何かを語っている。人生規模の話だ。少年は近所に神社があることを知り、ここは何だろうかと、探検中だった。本殿ではなく、その横の祠だ。お稲荷さんのようで、よくあるものだが、狐が怖いほどの朱色で、これが目立ったのだろう。
「成功を収め、名も全国に知れ渡った」
 老人は自分の名を言うが、少年は知らないらしい。
「金はもうある。これ以上収入はいらないが、やることが多い。この年になってもまだ仕事が続けられるのは良いことなのか、悪いことなのかと考えると、複雑だ」
 少年は、この人はもしかすると神様ではないかと思い出した。まだ何も分からない子供のためだろう。大人になると、そんな神様が目の前にいて、話しかけてくることなど考えもしないはず。
「貧しくても、ささやかな暮らしの中で楽しみを見いだす。以前の私がそうだった。あの頃の私のままだと、今頃とっくの昔に隠居し、好き勝手に生きていたかもしれない。今は私の体であっても私のものではない。だから勝手にやめるわけにはいかないのだよ」
 少年は、その意味など分かるはずはない。できればもの凄い人になりたいと思っているが、どんなことで、もの凄いのかまでは考えていない。
「このお稲荷さんはよく効く。昔私はこの稲荷に願を掛けたものだ。誰も拝んでいそうになかったからな。早く良い暮らしができますように、仕事で大成功を収められますようにとな。その願いを、このお稲荷さんは聞き届けてくれたことになる。しかし、一度もお礼参りに来たことはなかった。自分の才覚でここまで来られたのだと、うぬぼれていた。まあ、人様の助けがなければ、成功しなかったがな」
 少年は、神様の喋り方など聞いたことがない。こういう喋り方をするものだと、口をポカンと開けながら、神様の髭の中にある口元を見上げていた。
「私は今日は悔やみごとを言いに来た。お礼参りじゃなくね。決して満足のいく人生ではなかった。一度最高潮に達したときは大満足だったが、その後がいけない。もう目的を果たしたのだから、後は遊んで暮らしたかった。しかし、周囲がそれを許さない。地位も名誉も財も、もう十分すぎるほどある。これは頂上を上り詰めた人にしか分からんがね」
 少年は分かりようがない。
「そろそろ時間だ。君も、そのお稲荷さんに何を願うのか、よく考えることだな」
 老人は立ち去った。
 少年はそっと後を付けてみた。
 すると、裏通りに入った老人は、アルミ缶などを、そっと拾っていた。
 
   了

 
 

 


2015年12月5日

小説 川崎サイト