小説 川崎サイト

 

目に見えないものの存在


「目に見えないものを信じて、生きていく、というのはどうでしょうか」
 妖怪博士付きの編集者が話し出したのだが、他にネタがないのだろう。最近は仕事で来るより、休憩で来ていることが多い。
「目に見えないものか、それはいくらでもあるだろう」
「そういうものではなく、この世のものではないような存在です」
「うむ、君なら当然そちらの方へ持って行くはず」
「そうです。神秘世界です」
「うむ」
 これなら妖怪博士も何か返答しないといけない。そのあたりの専門家なのだが、それとその人の生き方はまた別だ。
「神秘的な存在を言い出す人は色々といますよ。どれも科学的に説明できないような」
「妖精が見えるとか、妖精が教えてくれたとかかね」
「そうです。でもその場合、見えない存在じゃなく、見える存在でしょ。妖精を見たのですから」
「妖精も妖怪も言い方が違うだけで、似たようなものだが、特に妖怪には具がある」
「具」
「具体性じゃ。形がある。なくても音がするとか、空気が変わるとか。いずれも物理的にな。だから目に見えない存在ではなく、見える存在じゃ。だからこそ、見た人など本当はおらん。下手に具体性があるためじゃ」
「じゃ、目に見えない神秘的存在とは何でしょう」
「その場合の存在。存在という言い方は、何か固形物から発しているように見えてしまう」
「何か、思い当たることはありませんか」
「不思議な偶然とかがそうかもしれん。運命の赤い糸とかがそうじゃが、そんな糸など見た人などおらぬ。だから赤いか青いかも分からん。これこそ見えない糸じゃな」
「それそれ、その種の話です」
「これは共時性だろう」
「シンクロするやつですね」
「シンクロ何とかと言うが、下は忘れた。舌をかむ」
「はい、ユングですね」
「ここから先が神秘主義になるかどうかのとば口でな。ただの偶然にしては話が良くできすぎておる。そこまで重なる偶然は、もう偶然とは言えない。何らかの意図を感じる。という話になるが、実際にはそのことばかり気にしているので、関連性を強引に付けている節もある」
「やはり錯覚ですか」
「本人が作ったストーリーだな。これを信じるかどうかは、本人次第。糸を紡ぐのは本人だ」
「最近紡ぐ人が増えたように思われますが」
「紡績の時代の復活じゃ」
「よく聞き取れませんが」
「不思議な偶然にストーリーを感じる。これが本人が勝手に関連付けて話を作ってしまうのか、あるいは第三者的なものが本当に作用しているのかが、とば口」
「当然、神秘ごとですから、第三者の関与でしょ。それこそが目に見えないものの存在の作用です」
「そちらへ持って行きたいのは分かるが、もしそうだとしても、本人も加担しておる。共犯だな」
「祟りなんかもそうでしょ」
「そうじゃな、本人が気にしておらぬなら、祟りなどない」
「しかし、目に見えないものの存在が警告したり、導いてくれたりするのでしょ」
「確かに警告はあるのう」
「ありますか」
「後で考えると、そうだったことが少しあるが、そのときは分からぬので、あまり役には立たん。せっかくのお知らせ、メッセージが、そうだと分からんから」
「はいはい。それは僕にもあります。一回じゃ分からないし、二回でも無理です。三回あたりから、何となく分かりますが、その警告が大きくなるか、さらに重ならないと気付きません。そして気付いたときはもう後の祭りだったことが多いです」
「まあ、その中には本当に現実的な因果関係も含まれておるんだろうねえ」
「そうです。神の声が聞こえるわけでも、啓示が降りてくるわけでもありません。同じような偶然が繰り返し現れる程度です」
「本人が紡いでいる糸の意図ではなさそうなほど、ぴたりとはまる時期の一致などは確かにある。これは個人レベルでの話でな。本人でしか分からん」
「それは背後霊や守護霊の仕業じゃありませんか」
「いや、守護霊はそんな囁きはせぬとされておる」
「じゃ、何でしょう。目に見えぬ存在の意図とは」
「まあ、自分を説得するための、方便程度だろう」
「説得」
「左へ行こうか、右へ行こうか、やめるか、やり続けるか、そのあたりを決めるとき、目に見えぬ神秘的意図を使う程度だろう。それにそんな神秘的な存在、何処に持ち込めばいい」
「神とか仏とか、天とか。妖精とか」
「君はそんなものを本気で信じるかね」
「いいえ」
「しかし、神秘ごとがあった方が好ましい。そういう口だろ」
「まあ、そうです」
「この話には解はない」
「だから神秘ごとなのですね」
「神の秘密を神秘と言う。そして個人の秘密を便所の秘密と呼ぶ」
「便所の秘密」
「略して便秘じゃ」
「ああ、便秘でしたか。何か通りの悪い話だと思っていました」
「詰まる話じゃ」
「はい」
 

   了



 
 


2015年12月7日

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