小説 川崎サイト

 

少女椿


 椿崎の屋敷が取り壊されたことにより、この通りや、この町内が明るくなった。何か忌み事が多い家で、暗い家だった。屋敷と言うほどの規模ではないが、古い家なので、二階はない。建て増し建て増しで、迷路のようになっていたようだ。といっても近所の人がこの家の中に入ることはなく、門までだ。奥まで入ったとしても玄関まで。そこに二畳ほどの板の間がある。その横にもう一つ小部屋があり、書生部屋だったらしい。
 椿崎の名にちなんだわけではないが、土塀の裏に椿が防風林のように立ち並んでいるのだが、この椿、陰気な冬の花で、他の花が咲かない季節でも一人咲いている。赤と白の。これで黒と白なら葬式の幕だろう。
 また、椿はあるとき、ぽろりと落ちる。それが斬首を昔の人は連想したのか、落ち方があっけない。桜の花のように、花びらがひらひらと舞うような感じではないからだ。花の塊がどんと落ちる。そのため不吉な花とされているが、これは魔除けにいいのだろう。
 椿崎屋敷が取り壊された理由はよく分からないが、もう何年も空き家だった。人が住んでいた頃もあったが、家族ではなく遠い縁者だったようだ。
 つまりこの屋敷を建てた椿崎当主や家族は、もうとうの昔に、ここにはいなかったことになる。
 人が住んでいてこそ家らしい。椿崎家の怪談は、人が住まなくなってから始まる。夜中にうめき声が聞こえるとか、その程度のもので、すべて作り話だ。
 椿崎家とは何者だったのか。一応会社役員となっているが、経営者ではない。だから社長や会長宅ではない。当然、この町内では最大の敷地を持つ金持ちであることは確かだが。
 元を正せば昔、都落ちした公家さんらしい。分家の分家で、椿の名のつく僻地の村に住んでいたので、本家の名は引き継がず、椿崎家とした。幕末時代、薩長に味方したため、新政府でそれなりの地位を得たが、すぐに没落した。しかしそれなりの人脈があるためか、財閥が面倒を見た。歴代の当主が会社役員となっているのはそのためだ。
 この椿崎家、最後まで屋敷にいた縁者を最後に、もうその血筋は消えている。
 そして、何があったのかも闇の中だ。
 一説では明治維新のとき、大きな秘密に関与しており、その実行犯の一人でもあったようだ。
 その椿崎屋敷が取り壊されたことにより、もう椿崎家について語る人もいなくなった。
 近所の人々は、陰気な家だと言っていた程度だが、当主や家族がいた頃を知っている人達も、もう年寄りだ。そして、それを語るようなことでもないし、椿崎家が何者だったのかまでは知らないようだ。
 ただ、老人達は、椿崎家の屋敷から運転手付きの自家用車で女学校へ通う少女には注目していたらしい。このお嬢さんを少女椿と呼んでいた。生きていればもう老婆に近いが、消息は全く分かっていない。
 そのため、椿崎家が消えたことそのものも分からない状態で、消えたことになる。
 
   了



 


2015年12月9日

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