小説 川崎サイト

 

大石食堂のメニュー


 何かうまいものを食べたいという欲はないのだが、昔に食べたものを、今食べたいと思うことが大石にはある。他の人にはないかもしれないので、大石だけがそう思っているのだろう。その大石も、常にそういう昔のものが食べたいと思っているわけではない。何か食べるものに飽きてしまったとき、それを思い出す。
 たとえばカレー。子供の頃、親が作ったカレー。これは母親だが、父親もたまに作っていた。その違いは殆どない。同じルーを使っているためだ。しかし、具の大きさ、切り方が違っていたりするし、父親はミンチ肉を入れていた。カレーにミンチ肉。何かよく分からないが、父親はあまり肉を食べなかった。嫌いなわけではないが、苦手だったのだろう。しかし家族分を作らないといけない。カレーに肉が入っていないと文句が出る。それで、ミンチ肉にしたようだ。
 このミンチ肉入りのカレーを大石は食べたくなったのだが、簡単なことで、いつも作っているカレーにミンチ肉を入れればいいのだ。しかし、あるとき父親が作ったカレーのミンチ肉の量が凄かった。間違って入れすぎたのだろうか。カレーに茶色いブツブツが泡のように浮かんでいた。それは一度だけで、やはり失敗したのだろう。その失敗した入れすぎのミンチ肉の入ったカレーが食べたくなったのだ。
 しかし、これは思うだけで、まだ実行していない。今日はミンチ肉入りのカレーを作って食べる、などと決心するようなことではないため、実行に移す機会がない。
 おやつではババ菓子だ。このババは婆ではなく、糞だろう。糞菓子ではなく、ババ菓子と呼んでいたのは、さすがに口に入れるためかもしれない。色が似ていることと、塊が似ている。これは駄菓子屋の駄菓子で、爪楊枝で食べる。羊羹の一種だったようだが、これがおいしい。爪楊枝と言うより、それはマッチの軸のようなものだが、その先に火薬がついているのではなく、先が黒いとアタリだった。もう一つ食べられる。
 これと同じものを探しても、ない。昔の駄菓子屋なのでメーカーものではなく、ハリスのガムではなく、コリスのガムなどが売られていた時代で、もうそんな会社はないだろう。
 近いものは和菓子屋へ行けばいくらでもある。ただの水羊羹のようなものだが、それとは少し違う。
 近いのでは、小さなゴムボールのような水菓子で、水を入れたボールのヨーヨーのようなものだと思えばいい。それの小さいタイプだ。このゴム風船のようなものの中に羊羹が入っている。爪楊枝の先でつくと、ぬめっと割れ、黒い球が出てくる。味はこれに近いが、ババ菓子は羊羹に似せてあるだけで。粉を練って丸めたような感じで、まさにウンコなのだ。
 この汚い菓子が食べたくなることがあるのだが、当然それは果たせぬ夢だ。夢と言うほど大袈裟なものでもなく、もし手に入ったとしても、それほど満足は選らないだろう。もう一度食べたい程度なので。
 そんなことを思い出していると、大石食堂ができる。昔食べたもので今も印象に残り、また食べたいと思うものが並んでいる食堂だ。
 幻のお好み焼きもある。これも駄菓子屋のお婆さんが店の奥で焼いていたもので、その生地がよく分からない。安いのに分厚い。そして堅い。中は野菜焼きで、これといったものは入っていないのだが、あのボリュームと堅さはどうやって出したのかが謎のままなのだ。鰹節を大量に入れていたとか、凝固剤でも混ぜていたのか、得体の知れぬ円盤だった。ピザを分厚くしたようなものではない。堅いと言っても弾力はあり、かみ切れないわけではない。
 やはり何か粉を入れていたのだろう。メリケン粉よりも安く付く何かを。当然そんな店は許可などもらっていない。駄菓子屋の奥の闇食堂なのだ。
 大石が思い起こすのはおいしいものではなく、その背景かもしれない。
 
   了



2015年12月30日

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