小説 川崎サイト

 

年越し婆


 その村には年越し婆がいる。他の地方では正月様とも言う。そのため、年の瀬になると、勝手口や、裏口にお供え物を出す。そうすれば、無事に年が越せるとなっている。年越し料で、来年への船賃、草鞋銭だ。
 お供え物は餅やミカン、その中に紙に包んだ小銭、これはおひねり。それを置く家もあるが、置かない家もある。
 置かない家は、無事に年を越せたときに、そのおひねりを置く。つまり賽銭だ。これはお礼。
 越せるかどうか分からないのに、先に礼を支払うのは勝手すぎる。越せると決め込んでいるため。だから前払いをしない家もある。それに年越し料が小銭程度の価格では、安すぎるだろう。
 一方越してから供える家は、これはただの気持ちで、決してそんなはした金が代価ではい。ちょっと気持ちを伝える程度だ。
 その年越し婆、見た人はかなりいる。これを見ると年を越せないと言われているが、皆、平気で超えている。婆がそっと中を覗いているところを、偶然、見てしまったりする。年越し婆は昼間から堂々とは出ない。こっそりと覗きに来る。
 しかし、村では年越しの神様で、本当は目に見えない存在なのだが、いつの間にか、その神様は婆さんの姿をしているとされ、年越しの神から、年越しの婆に名が変わってしまった。
 これは、ただの様子見の婆さんで、他人の家が何を食べているのかを覗きに来るのだが、この大晦日近くの年越し前に限られる。
 お隣の家は無事に年が越せるのかどうかを、食料具合から窺う感じだが、それが年越しの神様と重なった。この婆さんを見ると年が越せないというのは迷信なのは、村人も知っている。村人の中にその婆さんがいるためだ。
 ある村人一家によると、越せない年があり、餅どころから米もなく、食べるものがなかった。縁者や近所の人から分けてもらうのを由としない家長だったし、正月の餅が食えても、解決策にはならない。
 しかし、子供達がひもじそうにしている。餅ぐらい食べさせてやりたい。せめて正月だけでも。
 年が明けた朝、勝手口の前に包みがある。開けると餅だった。
 これが実は年越し婆の仕業で、越せない家がないかどうかを見回っていたのだ。
 家長が言うように、根本的な解決策にはならないが、子供達は喜んだようだ。
 さて、年越し婆だが、今ではただの覗き婆になっており、あそこの家は貧しいとか言いふらす、そちら方面の妖怪になってしまった。
 
   了
 


 


2016年1月2日

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