小説 川崎サイト

 

先読み過ぎた未来


 先読みばかりしていると、今のことが妙になる。未来のためだけの今ではないはずだが、予測されることもあり、先を見込んで行動するのは悪くはないのだが、この今の気持ちはどうなるのだろうか。未来はまだ先で、一秒後の未来ではなく、数ヶ月先などになると、今とは繋がってはいるが、この今とは少し空気が違う。数ヶ月後になってみないと分からない心境もある。それは思っていた未来ではないかもしれない。そのため、数ヶ月先、数年先の未来予測の幅は、少し持たせたりするが、そういうズレ程度の問題ではなく、明らかに次元の違うところに飛ばされているかもしれない。
 未来を予測してしまう、先を読んでしまうのは、過去にそういうことがあったためだ。
 当然、予測していた将来図になりにくいものだという反省もある。当たることもあるが、外れることも多い。先になると、今の相場が落ちていたりする。
「そこで私が考えているのは、予測された未来の事柄のあとに来るものを考えるわけです」
「はあ。しかし未来を予測するのは難しいのに、それが終わった先の未来ですか」
「いや、そんな社会的な占いのようなものじゃなく、心情的なものですよ」
「と、言いますと」
「その事柄が成就したあとのことです」
「ほう」
「だから、先の先を読むのです」
「普通でしょ」
「え、そうですか」
「二手、三手先は普通、読むでしょ」
「そうでしたか。そんなに深読みしてますか、一般の人々は」
「まあ、経験値がものを言うのでしょうねえ。自然と流れが分かるものですよ。これはいい流れに一瞬になるが、すぐに戻され、逆にかなりしんどい状態になってしまうとか」
「ほう」
「それで、あなたの言われる先読みとは何ですか」
「淺読みでした」
「いえいえ、あなたほどの人が、そんな単純な読みではないはずです」
「そうですか」
「どういう意味でしょうか。その先読みの先読みとは」
「予測できる未来の、それが終わったあとを今からやるのです」
「え」
「何か」
「しかし、それは飛ばしすぎでしょ。やはりその箇所を経過しないと、その後の展開も」
「いや、パスするのです。どうせ、予測された未来など、すぐに通過してしまい、次のステージへ移っていますから」
「それと一手先二手先を読むのとどう違うのですか」
「同じです」
「それは困った」
「はい」
「それでは、何でもない話でしょ」
「そうなんですが、これでも実は大変な影響を与えるので、実際には使えない面もあるのです」
「要するに先の先を読むことに対しての警告ですか」
「そうです。未来ばかり読んで、今はどうなんです」
「ほう」
「今は未来のためだけにあるのですか。今のための今はないのですか」
「まあ、それも含まれているでしょ」
「ところが今はずっと今なんです。未来の今を想像するのも、今なんです。この今を飛ばして、先読みをするとおかしくなります」
「おかしくなるのは、あなたではありませんか」
「いやいや、そうじゃなく、あることを省略するのが、先読みです。正確には先飛ばしです。それを通過しないまま、先のことを考えてしまいますと、何か燃焼性が悪かです」
「九州の人ですか」
「悪かとです」
「燃焼性ですか」
「はい、過程を省略すると、身につかんとです」
「ワープのしすぎだと」
「そうです。自分に対しての説得力が希薄になります。まるで自分が占い師の戯言を実行しているようで」
「よく分かりませんが、何か思い当たることがあって、おっしゃっているでしょうねえ」
「それそれ、その思い当たるところの連続性で、成り立っているのです。省略して、さっと次のことをすると、地に足がついていないような浮遊感に襲われます」
「まあ、それはあなたの気持ちなので、何とも言えませんが」
「未来を予測するのはいいのですが、この未来は、常に移る今から発せられていますので、その近くの未来に来たときは、もう以前思っていた未来とは違う未来を考えているのです。今は刻一刻変わります。その分、未来も変わったりします」
「要するに、どういうお話ですか。非常に深いようで、非常に浅い」
「確かに今の自分にばかり振り回される気分屋さんがいいと言っているのじゃありません」
「あなた最初に、予測された未来の、その先をやるといっていたじゃありません。省略して。今、言っていることは違いますよ」
「そうでしたか。話している間、今が、飛んだのです」
「このお話、長くなるようなので、今日はこのあたりで終えませんか」
「はい、次の機会になると、また違うことを言い出すと思います」
「悪い病気でなければよろしいのですが」
「はい」
 
   了

 


 


2016年1月3日

小説 川崎サイト