小説 川崎サイト

 

年賀の訪問者


 岩田老人は一人で新年を迎えていた。形通り目出度いタイと、雑煮を食べ終え、さっき起きたばかりなのだが、もう眠くなったのか、横になってしまった。
「年賀の挨拶に来ました」
 と、玄関から声が聞こえる。チャイムを付けているので、それを鳴らすのが筋だろう。それが見えないとは思えない。それに年賀に来るほどの人なら、この家に何度も出入りしているはずなので、チャイムがあることは分かっているはず。とすると、セールスかもしれないが、元旦早々、それはないだろう。詐欺師も元旦と盆は休むというのだから。
「年賀に来ました、岩田さん」
 玄関先には岩田と書かれた表札がある。だから、それを見て名を呼んだのかもしれない。
 ドンドン
 今度は玄関戸を叩き出した。
 せっかく良い気分で、うとうとしていたときなので、岩田は不機嫌になったが、昼寝をするには早すぎる。やはり、ここは起きて、玄関まで出るというより、初詣に出たい。
「はい」
 岩田が声を出すと、ドンドンは静まった。
 玄関戸を開けると、見知らぬ老人が杖をついて立っていた。これは死に神だな、と岩田はすぐに悟り、相手にならないことにした。しかし死に神は用があるのだろう。それにしても元旦早々から死に神とは、運と災難はいつやってくるか分からないので、あり得るだろう。運がよければ福の神でも来ていたかもしれない。
「年賀の挨拶に来ました」
「あ、それはどうもわざわざ」
 しかし、見たことのない人だ。死に神はこんな顔をしているのかと、新鮮な気持ちになったが、どう見ても貧乏神だ。田舎のひなびた爺さんに似ている。貧乏なのは顔だけではない。羽織もなく着流し一枚。この寒いのにご苦労なことだと感心する。しかし、見知らぬ貧乏そうな和服で杖をついた老人が何の挨拶なのか。
「年賀の挨拶に来ました」
「はいはい」
「では」
 老人はそのまま立ち去った。路地に出てその後ろ姿を目で追うが、他の家には寄らないで、そのまま路地の奥へと消えてしまった。奥は突き当たりなので、右へ回ったのだろう。それで、消えたように見えた。
 何も要求しない。何も用件を言わない。ただの挨拶。一応年賀の挨拶だが、顔を出しただけの挨拶ではないか。年賀の挨拶に来ましたはいいが、その挨拶の中身がなかったように思われる。
 きっとタイと雑煮を食べて、横になり、夢を見ていたのだろうと、居間に戻ると、掛け布団がめくれている。ドンドンがうるさいので、飛び起きて、玄関に出たのだろう。すると、これは夢ではない。
 しかし、その印象は浅く、今のは何だったのかと回想するほどのものではなかった。
 しかし、あの老人のおかげで、すっかり目が覚めたので、もう眠気は消えた。これで初詣に行けるだろう。
 もしかすると、初詣に来いと催促に来たのかもしれない。すると、あの老人は神様の使いだったのか。
 岩田は例年通り、近所の神社へ初詣へ出かけた。小さな神社なので、近所の人が、ぽつりぽつりと参る程度。
 境内に人が少しだけいるのは、たき火をやっているためだろう。寒いので、それに当たっている。
 そのたき火に薪を投げ入れている老人がいた。その顔は先ほど年賀に来た老人に似ていたが、和服ではない。
 では、あの杖をついた老人は誰だったのかと考えると、岩田は今でも不思議でならない。
 
   了

 



2016年1月6日

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