小説 川崎サイト

 

新年


 持田は新年になったので、新たな気持ちで、スタートした。これは年に一度の更新で、別にレベルアップしたわけでもなく、何かが刷新されたわけでもない。昨日と同じようなことを今日もやるだけなのだが、気の持ち方が違う。これは年に一度のチャンスで、他にあるとすれば、春だろう。入学式、入社式、こちらは具体的にスタイルが変わる。
 しかし、正月はあっという間に過ぎ、正月らしさはすぐに終わる。ほんの数日のことだ。しかしそれは一日でもかまわない。正月気分よりも、新たな気持ちになれればいいのだ。これは一瞬というより、目覚めたとき、既になっている。特に努力の必要はないが、把握していることが大事だ。つまり、元旦だという意識だ。これがないと、平日のいつもの目覚めと同じになる。
 そこは普通に過ごしておれば、今日は大晦日で、明日は元旦だと何らかの方法で分かる。テレビもあるしネットもあるし、隣近所の動きや、友人知人との話題でも出るためだ。それらが一切なければ、カレンダーを見れば分かるだろう。
 そういうことではなく、気持ちだ。その持ち方だ。気持ちが変われば見え方も変わり、態度仕草も違ってくる。世の中の把握の仕方も、自己のありようも変わってくる。
 そのはずなのだが、これはすぐに冷めてしまう。グライダーのようなもので、動力がないため、自力で飛ぶには限界がある。
 しかし新年、いい風を捕まえ、それに乗れば、もう少し遠くまで飛べるだろう。
 持田はそういう建設的な心持ちではなく、サラにしたいのだろう。更地のように。新しい一年という更地を得たいのだ。これは去年のぐちゃっとした一年とは切り離し、引きづらないことだ。これがいいのか悪いのかは分からない。去年の反省はしない。それは忘年会で、年を忘れる。ここで仕舞いにしてしまい、なかったことにする。それでは失敗が活かせないのだが、その失敗が、解決できるような失敗ならいいのだが、どうにもならないようなことでの失敗なら、これはもう運が悪いと思うしかない。だから、気分一新でやり直す方がいい。
 しかし、会社の上司で、まるでコーチのような人がいて、失敗を活かしていなので、失敗は成功の元にはならないと厳しく叱られた。
 どうして失敗したのかをよく検討し、対策を立ててから、チャレンジすべしと。
 そのコーチのような上司は海外の学校を出た人で、若手社員の指導などにも当たっている。
 持田もそれは分かっているのだが、去年のことは全部水に流す方が楽だ。特に何もしなくてもいいし、反省もしなくていい。その反省の中身も、自分だけが悪いのではなく、同僚も悪いし、会社も悪い。ここで一人だけ対策を考えても、無駄なのだ。
 それよりも、そんなことはただの浮き世のこととして水に流し、忘れた方がその先、生きやすい。これは誰かに勝つとか、仕事がうまく行くとかを生きがいにしている人なら別だが、持田にはそのモチベーションはない。
 そして、初詣で、持田は神様にお願いをした。
 失敗しませんようにと。
 
   了

 



2016年1月7日

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