現実と非現実との境界線がある。だが、ここははっきりしているようでも曖昧だ。
夢の中の話は現実ではないが、夢という現実があり、ある夢を見た場合、それは現実のことだ。しかし、その中身は非現実な話である。
これは明快な境界線があり、分かりやすいのだが、個人が抱いている思い入れは、必ずしも現実に即したものではない。
浦上は私大の教授だが、家に帰ると冒険者になる。オンラインゲームの中のキャラクタになるのだ。
ヨーロッパ中世の騎士が戦っていたような時代が背景で、浦田は魔の洞窟へ入り込み、毎晩のようにモンスターを退治した。
浦田がインターネット上でゲームをしているのは現実だし、冒険者となって戦っているのも現実だが、現実の浦田は一家の主であり大学教授だ。決して冒険者ではない。
だが浦田は、それを現実以上に大事にしている。現実生活と同じ扱いで接しているのだ。
浦田には友人は多くいる。そしてゲームの世界にも仲間がいる。その仲間との現実関係も可能だ。メールアドレスを知っているし、電話で話したこともある。その気になれば会うことも出来る。
映画を観ていて、すっかり主人公に感情移入し、なりきってしまうことがある。それは自分ではないのだが、自分のことのように体験する。
それとゲームプレーとは似ている。映画や小説では、自分の意志は反映されないが、ゲームではそれが効く。
浦田はもう一人の自分となり、キャラクタを演じているわけだが、この分身も浦田の一部なのだ。
浦田の意志で分身も動く。モンスターに囲まれている女魔術師がいれば進んで助ける。それは浦田の意志であり、浦田のパーソナリティーの反映なのだ。
そんなある日、浦田は強力な武器が欲しくなった。伝説の赤アックスだ。片手斧だが威力の数値を見ると桁が違っていた。同じく価格も桁違いで、溜めた金貨を吐き出しても買えない。
伝説の赤アックスは普通の武器と変わらない何げない形だ。これが桁違いの威力があるとは見えない。浦田はそれが気に入った。
浦田は金貨を買うことにした。ゲーム上の金貨を売っている業者がいることを、仲間とのチャットで知っていたからだ。浦田は小遣いで赤いアックスを買った。
そして現実と非現実との境目がますます曖昧になった。
了
2007年2月28日
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