小説 川崎サイト

 

音無し


 何事が起っているのか分からないが、何かが起こっている。これは何だろうと高見は心配した。この場合の何事かは、悪い方に解釈する。その気配からして慶事ではない。今まで心配していたことが始まり出したのではないかと、その後、用心するようになる。
 しかし気配だけで、それはなかなか起らない。取り越し苦労に近い。その気配もよく分からない。しっかりとしたものではなく、そう感じているだけのようにも思えた。
 高見が感じている気配とは、ドアの向こう側、窓の向こう側、壁の向こう側だ。そこに何かいる。窓は外と面しているため、町の音が聞こえる。これを何かの気配として錯覚してしまうこともあるが、よほど大きな物音や、変わった音でもない限り、外からの音は雑音として受け取るため、聞いていない。それに部屋にいるときはテレビを見たり、音楽を聴いているので、外の物音など聞こえない。
 ドアの向こう側は廊下で、そこは屋内だが、アパートの廊下のため、不特定多数の人々が出入りしている。子供が迷い込んだり、郵便屋が来たりと、普通の通りとかわらない。
 さらにそこは一階だが、二階からの音も来る。斜め上の部屋からも来るし、当然隣室や、一つか二つ先の部屋の音さえ深夜なら聞こえる。そのため気配には困らない。
 だから、そのタイプの物理的な音ではなく、耳をふさいでも聞こえてくる音。ただそれは音というより、何かの振動で、耳で聞いているのではないようだ。
 これが高見が心配している気配で、何かが起こっていることだけが分かる。また、それは耳鳴りに近いかもしれないが、それとははっきりと区別できる。感じる場所が違うためだ。
「幽霊ですかな」
「はい、そう思います。最近出るようになりました」
 高見は知り合いの知り合いの紹介で、妖怪博士宅を訪れた。高見はそれを妖怪の仕業だとは思わず、幽霊だと最初から感じている。だから、場違いな場所に来たことになるが、他にこの種のことに詳しい人がいなかった。
「幽霊のう」
「はい」
「見ましたか」
「いいえ」
「あ、そう」
「あのアパートには色々と噂がありまして」
「ああなるほど」
「その中の一つが出たのではないかと」
「幽霊以外のことを考えられましたかな」
「はい、色々と考えました、また耳をふさいだり、試してみました」
「音だけの幽霊ですかな」
「そうだと思います。海外では多いと聞きました」
「大きな音でしたか」
「いえ、聞こえたか聞こえなかったのかも分からないほど、かすかな」
「じゃ、音は鳴っていないと思いますよ」
「そうなんですか」
「もし、その手の幽霊でしたら、何かを知らせようと、聞こえるように音を立てるはずです。そうじゃないとコミュニケーションになりません。聞こえたか聞こえないか、スカ屁のような音では何ともなりません。だから、幽霊ではありません」
「じゃ、何ですか」
「自製です」
「えっ」
「あなた御自身で音を出しているのです」
「確かに僕は喘息持ちで、笛が鳴ることもありますが、それなら分かります。それじゃありません。僕の肉体から発した音じゃありません」
「だから、鼓膜で聞き取る音じゃなく、あなたの内面から出ている音で、耳を通しての音じゃありません」
「じゃ、正体は何ですか」
「悪い予感がする。何か悪いことが起こりそうな予兆がする。そういう音でしょ」
「そうです」
「どんな音色ですか」
「うー」
「うう?」
「はい」
「音の方角は」
「分かりません」
「うううなら、それは音無しですなあ」
「音無し」
「音無しという妖怪がいるのです」
「はあ」
「これは腹の中にいるとされていまして、音を出すのに、音無しです」
「そうなんですか」
「また、大人しいとも言います。決して害はありません。悪い妖怪じゃありません。腹の虫と同じようなものです」
「じゃ、どうして、そんなものが入り込んだのでしょうか」
「心配事、悪いものを望んでおられたからでしょうなあ」
「そんなもの、望みません」
「本人が気付いていないだけです」
「どうすれば治りますか」
 妖怪博士は年代物の薬箱から丸薬を取り出し、紙に包んだ。いつもの正露丸だ。
「これを飲めば、虫下しと同じで、音無しを下ろせます」
「はい」
 高見は礼金を払い、出て行った。
 詐欺のようなものだが、これで音無しの音が消えるだろう。
 
   了


 

 


2016年1月10日

小説 川崎サイト