小説 川崎サイト

 

開かないドア


 セルフサービスの喫茶店で、高岡はトレイを片手に喫煙室のドアを引こうとしたが、開かない。この硝子ドアは自動ではなく、レール式で、入るときは右へ引く。横は硝子の仕切りで、タネも仕掛けもない。ガラッという音もしないで、少し引けばするするとドアが右へスライドする。
 高岡は毎朝、そこに来ているので、勝手知った店内で、このドアも毎日引いている。これはドアを代えたのだと思い、縦に長い取っ手に軽く触った。
 しかし開かない。自動ドアではない。
 更に試しに、取っ手を手前に引いてみた。どう見ても、この取っては手前側に引くように見えてしまうためだ。これを入るときは右へ、出るときは左へ開けるのだが、そのことで間違ったことはないが、最初にこの店に来たときは、手前に引いてしまった。それではだめなので、押してみた。結局は横へのスライド式だったのだが、今となっては気にも掛けずに開け閉めしている。また、このドアは少し引けば開き、そして全開になり、今度は戻ってきて自動的に閉まる。よくできた滑らかなガラス戸だ。
 押しても引いてもスライドさせても開かないので、高岡は近くのテーブルにトレイを置き、両手で押し開くように、力を込めたが開かない。
 それを見ていた若い夫婦が、二人で加勢してくれたが開かない。
 すると喫煙室、つまり仕切りの向こう側から年寄りがやってきて、さっと開けてくれた。コツも何もない。一気に力任せに引いたのだ。
「何か引っかかってますねえ」
 と、年寄りは言い残し、喫煙室の自分のテーブルへ去った。結構奥のテーブルだ。
 それで、無事高岡は喫煙室のテーブルに辿り着けた。そしてドアの前に人が立つ度に視線を向けた。もし開かないようなら助けてやろうと。
 老婦人がすんなりとドアを通過した。幽霊のようにすり抜けたのではない。ドアを開けて入って来ている。あと数年もすれば、本当にそれができるようになるかもしれないが。
 その後も、客は何人も入って来たのだが、トラブルはない。また、喫煙室から出る人も、無事に出ている。高岡のときだけ開かなかったのが不思議なほどだが、神秘的な詮索はしない。
 もし、入ってから開かないとなると、隔離される。出られなくなる。高岡のときは年寄りの馬鹿力で強引に開けてくれたが、開かなくなる状態にいつなるかもしれない。
 出入り口は、その硝子ドアだけ。ここは以前は仕切りがなく、喫煙室もなかった。だから、とってつけた仕切りだ。
 喫茶店は硝子で囲まれ、二方面が見える。三方面目は喫煙室から見える。非常に見晴らしのいい喫茶店なのだが、あのドアが開かない状態になった場合、どうするのだろう。硝子をたたき割るのだろうか。ドアを直す業者が来るだろう。その前に警備の人などが来て、こじ開けるかもしれない。
 もし閉じ込められた場合、と高岡は想像を続ける。
 喫煙室から三方面が見える。その三方面目がテラスだ。ここは下から見れば二階。住宅で言えば洗濯物干しに使えそうだが、そこにテーブルや椅子が複数あり、冬場でも、そこに座っている人がいる。ここは普通のドアで仕切られている。
 そこへ出たまではいいが、下への階段などはない。飛び降りるわけにはいかないが、避難梯子ぐらいはあるだろう。これで、脱出できる。
 また、避難梯子もない場合は、傘が何本も立っているので、それを抜いて、落下傘のように飛び降りればいい。少しは着地のとき、緩和されるだろう。
 しかし、下は自転車置き場や通路で、レンガとコンクリートなので、痛いかもしれない。
 まあ、そこまで考えなくても、業者が来るまで待てばいいことだ。火事が起こったわけではない。
 どちらにしても、開くべきものが開かない。開いて当たり前のものが開かない。
「お客様の中にドアの修理に詳しい方はおられませんか」とアナウンスされるところまで想像した段階で、高岡はもうドアのことなど忘れて、今日のスケジュールを立てていた。
 
   了

 

 


2016年1月14日

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