小説 川崎サイト

 

月笑記


「月が笑いましてねえ」
「笑いましたか。よくあることです」
「ないない」
「月笑という言葉もある」
「ないと思いますぞ」
「あ、そう。しかし、月も笑うでしょ」
「ほう」
「歩き疲れたとき、足も笑いますから」
「それは具体的じゃが、笑顔じゃない」
「表情を崩したとき、笑ったように見えるんですよ。だから足がガタガタし、がに股で踊っているようになる」
「へっぽりごしで」
「そう、尻を突き出すと滑稽に見える」
「尻も笑いますか」
「さあ、イメージが湧きません。ところで、あなたが見た月はどんな感じでした」
「じっと見ていると笑い出しましたよ」
「満月?」
「そうです」
「意外と眩しくて、月の模様もよく見えないのでは」
「明け方の月でした」
「じゃ、眩しくない」
「もう日は昇りかけているときで、両方一緒に見られる」
「じゃ、日の出前に外で」
「体操するので、表に出るんじゃ。このマンション、庭がない。ケチっぽい物件でね。それぐらいの余地を空けておいたらいいのに、きちきちに建てておる。それで、表通りで体操をしているとき、月が残っているので、じっと見ていたら、笑い出したのじゃ」
「模様が」
「そう。兎が餅をついているようなあの模様だが、人の顔になり、そして笑い出した」
「それは同じものをじっと見ていると、動き出すものだよ」
「そうなのか」
「ぼんやりとしたものや、つかみどころのないようなものを見ていると、勝手に動き出す。ぴくぴくとか」
「サザエさんの漫画が動くのは聞いたことがありますが、あれはしっかりとした絵でしょ」
「線を見るのではなく、面を見ていると、はっきりとしなくなり、動き出す」
「しかし、月が笑い出したときは、怖かったわい」
「朝から怪談ですねえ」
「わしは俳人か坊主になるとすれば、月笑と名乗りたい」
「いるんじゃないかな。思い付きそう名なので」
「その笑い顔を思い出すと、怖くなってきます」
「ほう」
「ケタケタと笑っておった」
「月の微笑みではなく」
「そうそう、何か人を見下すような、あれは嘲笑だ。しかも露骨な」
「まあ、そう見えただけだよ。その後どうなりました」
「怖いので、目を逸らすと、そのうち消えていったわい」
「日が出て、月も薄くなったと」
「それで、もう二度と見ないで、体操の続きをした。一人でラジオ体操の第二までやった」
「それは毎朝」
「そうじゃ」
「それだけのことだな」
「ところが月を見る度に笑っておる」
「え」
「夜に出る月を見ても、笑っておるがな」
「じっと見続けるからだよ」
「いや、ふっと見た瞬間、もう笑っておる。月はアニメか」
「それは記憶を回しているだけ」
「しかし、すぐに笑うので、怖いので、もう月は見ないことにした」
「はい、御勝手に」
 
   了

 

 


2016年1月15日

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