小説 川崎サイト

 

襖の下張り


 苦言。
 串間は上司から苦言を受けた。上司は苦言を呈したわけで、串間は苦言を呈された。よいものを進呈されたわけではない。これで串間のやる気が失せた。そんなことでめげるようでは大した人間ではないが、串間自身、大した人間になりたいとは思っていない。
 今までこの上司とうまくやってきている。一度も注意を受けたことも、いやなことを言われたことがない。今までの関係が、これで崩れたようなものだ。
 一方、上司はついうっかりと言ってしまった。今まで黙っていたのだ。ところが転勤の内通を受け、近いうちに、ここからいなくなる。部下達ともおさらばだ。この串間とも。
 上司は串間にだけは小言苦言などは言わなかった。甘やかしていたわけではない。それがガードになるためだ。その効果は長く続いた。串間は上司を常にかばった。いつも可愛がってくれるため、上司に好意的なのだ。
 串間にすれば、その苦言で、今までの自分の勤務振りを全て否定されたことになる。つまり、存在そのものを疑われる。ずっとそう思われていたのだ。
 何も言われないので、それでいいものと思い込み、一人前の働きをしていると思い込んでいた。それで串間の全存在が崩れたようになった。脆い男だ。
 上司はもう串間を味方に付けておく必要がない。これはただの保険だが、この保険がたまに役立った。
 さて、苦言の中身だが、単純に言えば遅い。仕事が遅いのだ。これをじっと上司は辛抱していたことになる。逆に褒めていた。仕事が丁寧だと。
 そのことで、この会社のホームページへのアクセスが減った。苦言を受けたあとのことだ。串間は会社からのお知らせや、一寸したテキストの更新をしていた。誰でもできることなので、それが専門ではない。その更新をしなくなったわけではなく、その仕事はまだやっている。
 小さな会社のホームページ、しかも一般の顧客などいない業種なので、普通の人が見に来るようなことはない。なくても誰も困らないような会社のホームページ。ただ同業者や関連企業が、また会社案内などを見に来る人がいる。ただの様子見だ。
 その更新を怠ったので、アクセスが減ったわけではない。これは先にも述べた。むしろ、多すぎたのだ。それが普通に戻っただけのこと。
 ここで「仕事が遅い」が来る。串間は仕事中、純文学の私小説をこそこそ書いていたのだ。これで、本業が遅れがちになった。
 その純文学私小説を社のホームページで連載していたのだ。当然、そんなページは表からでは見えないし、そんなページも存在しない。
 ワープロやエディターソフトで、書いていたのではなく、手書きでもなく、ホームページ上に書いていたのだ。
 そこはホームページの裏側のようなところで、ソース画面だ。ウェブページには表示されないので、公表していたわけではない。それにそんなことをすると、すぐに分かるだろうし、これはいくら常識のない人でも、そんなことはハナからしないだろう。
 ソース画面とはウェブ画面に表示させるための呪文などが書き込まれている画面で、その中に、ある範囲を表示させない指定ができる。ここは一寸したメモとか、他の作成者にも分かるように、注意書きや、作った人の覚え書き程度の言葉が残せる。
 そこに串間は私小説を書いていたのだ。そして、そのファンがかなりいた。私小説なので、会社であったことなどが書かれている。最近は例の上司との和やかなシーンがよく出てきていたのだが、それがひっくり返ったため、もう書けなくなった。ストーリーが違ってしまうためだ。
 この会社のホームページに、そんな落書きを裏側でやっていて、よくも苦情が出ないものと思われるが、ホームページ作成業者は、数年前に作りっぱなしで、そのあと潰れてしまったため、この会社のページも放置状態に近かったが、串間が何とか最新のお知らせなどを載せていたのだ。ただ、勢い余りすぎて、襖の下張りに小説を書くようなことをしてしまった。
 一つの苦言が、どう波紋を呼ぶのかは分からないものだ。この小説が完成していれば、芥川賞が取れるわけではないが。
 
   了

 

 


2016年1月19日

小説 川崎サイト