小説 川崎サイト

 

真壁の妖精


 真壁の妖精は見に行かない方がよいとされている。これは緩やかな傾斜、富士山の裾野を連想すればいい、森だ。しかも深い。当然植林されていない原生林が好ましい。その条件を真壁山地の一角が満たしており、その山間に密度の濃い森がある。開拓すれば田畑になりそうだが、昔からここまで手を出す人はいなかった。今もそうだ。これは奇跡的に残っている場所で、もう滅多にそんな場所はない。国立公園でも国定公園でもない。ただ、辺鄙すぎる場所で、猟師も滅多にここまで入り込まない。
 この森に妖精がいることは古くから知られている。大昔は妖精などとは呼んでいなかったが、山の神様とはまた違う。
 この森に最も近いところにある山寺が、一応この妖精を管理している。というよりも観察している程度だろう。実際には人を近付けないようにしていた。妖精見学の人と接触させないためだろう。入らずの山として入山禁止。何を隠しているのか、それさえも明かしていなかった。
 この山寺とは別に、そこから一番近いところにある神社も、ここを監視している。寺と神社とが妖精の取り合いをしているわけではない。この神社は本職の巫女を育てている。育成だ。その巫女見習いが、この妖精の森、真壁の森の守り人となっているのだが、妖精から精気のようなものをもらうためだろうか。
 真壁に妖精がいるこは秘中の秘ではないが、殆ど知られていない。昔は山の神様だったので、そういうものがいても不思議ではない。それに、その妖精と里人との関係が何もない。役立たないためだ。
 お寺では何十年かの間隔で、仏像を真壁の森に奉納する。この仏像は地蔵菩薩だが、所謂水子地蔵だ。妖精達を供養するためだろう。
 つまり、妖精とは水子や、幼くして亡くなった子供達のことで、その霊が真壁に集まっている。これは魂魄この世にとどまり、というような恨み辛みを抱くほどの年ではないためか、いたって無邪気なのだ。
 それがどうして背に羽根が生え、まるで遊んでいるかのように飛び交うようになったのかは分からない。それは真壁の森に秘密があるようだ。
 好奇心旺盛な見学者に見せたくないのは、裸体のためだろう。これは妖精と言うより、幼精なのだ。
 この妖精、当然この世のものではないので、捕まえることはできない。実際あの程度の羽根で飛べるわけがない。
 妖精達は食べたり飲んだりする必要はない。森の中をふざけながら飛んだり、じゃれ合ったりしているだけで、遊んでいるのだ。西洋人が見れば、それは天使だろう。
 これは当然実像はなく、煙のようなもので、沸いているだけのことだ。
 反射光の波長が違うためか、光として写真には写らない。赤とんぼのようなものが飛び回っているのではなく、産まれたばかりの赤子よりも小さいが、それでも丸々と太り、肉感的だ。
 妖精達の羽根は蝶々のような形で、半透明で色は様々。こんなものが、この世にいること自体、有り得ないのだが、この真壁の森の中だけは、それが見えるらしい。
 その真壁の森の秘密は一切分からないが、何かが漏れているようだ。見習い巫女達はその精気を吸いに来るのだろう。
 山寺の坊主もたまに地蔵の掃除に来るが、その妖精を見てしまうと、凄まじい煩悩が起こり、それを払うには相当の日数がかかるしい。ただその間、かなり修行に励むようだ。
 
   了




2016年1月24日

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