小説 川崎サイト

 

小僧の神様


 まだ農家が少しだけ残っている町に、古くから小僧の神様がいるが、これは秘仏で、その名も明かされていない。しかし、いつの頃からか小僧の神様と言うようになった。秘仏で名さえ口にしてはいけない神様なのだが、時代を経るうちに緩んできたのだろう。名前を言うようになった。
 小僧の神様なので、子供の神様。これは神様が子供なのではなく、子安地蔵や、子守地蔵のようなものかもしれない。子供を守る仏様だが小僧の神様は神様なので、仏さんではないが、まあ、どちらでもいいような話で、有り難いものなら、何でもかまわない。
 その村は交通の要所になるためか、村から町になり、早い時代から町屋が並ぶようになった。これら商家の人達は地元の人ではない。町屋が農家を追いだしたような形になったが、そこで争いが起こったわけではない。商家の隙間に農家はまだ残っており、そこに大きな倉がある。これは神輿倉のようなものだろうか。
 当然神輿も入っているが、小さなもので、子供神輿程度。その奥に開かずの間があり、ここに秘仏が隠されている。それが仏なのか、神なのかは分からない。例の小僧の神様だが、今となっては誰も見向きもしないし、殆ど忘れている。小僧の神様の行事などないためだ。
 村の神様とはまた別種で、お稲荷さんのように、誰かが持ち込んだものだが、村の神様とは競合しない。
 名さえ口にしてはいけない神様だったので、正式な名はもう分からない。ただ、物はある。倉の奥に。
 小僧の神様、子供の神様だと言われているが、子供は見てはいけないとされている。大人だけが見てはいけないのなら分かるが、特に子供には見せてはいけないということで、秘仏となった。つまり、隠してしまった。
 だから、最初は公開されていたのだろう。子供のためのお地蔵さんのようなものとして、扱っていたかどうかは分からないが。
 また、これを持ち込んだ人も分からない。古い記録では、村人が大枚払って譲り受けたという。それほど有り難いものだったようだ。
 そして、現在もそれは秘仏のままだ。倉の奥の開かずの間を開けたのは旧村時代の地元の人や、市の関係者で、中心になったのは博物館の人達だ。出物なら博物館が引き取りたかったのだ。
 そして、扉を開けると狭い部屋で、ただの物置のような場所だが、洋服ダンスのような長細い箱に、小僧の神様が眠っておられた。
 神様は小さいが一体のように見えて二体。
 学芸員は、すぐにそれが何であるのかが分かった。それほど珍しいものではない。所謂聖天さん、つまり歓喜天。象の神様だが、抱き合って合体されておられる。その象は二体とも子象だった。これはまずいだろう。
 小僧の神様ではなく、子象の神様だったのだ。
 
   了

 



2016年1月26日

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