小説 川崎サイト

 

寒波一過


 寒波一過のよく晴れた空で、空気も澄み、遠方までクリアーに見える。台風もそうだが、被害がなければ、実に気持ちがいい。
 寒さが緩んだわけではないが、いつもの寒さに戻っただけでも、春が近いのではないかと思えるほど、暖かい。
 三島は何かが刷新されたような錯覚を覚え、この錯覚で気持ちもまで真新しくなった。非常に良い性格だ。単純で素直な人ほど幸せ度が高いのかもしれない。些細なことでも喜んだり、気をよくしたり、頭を切り換えられる。
 トリックには乗ってみよ。これはトロッコではない。罠には填まってみよ、掛かってみよということわざはないが、罠だと知りつつ填まる罠と、罠だと知らないで填まる罠とでは違う。同じ罠でも、心がけが違う。罠だと分かっているため、そのつもりで填まるので、心の持ち方が違う。何処か余裕がある。
 大寒波後に三島が填まった罠は、気持ちが刷新したためだろう。何か新しい一日をもらったような気になった。
 しかし、これはそんな気になっただけで、特に何かをやるわけではない。気分だけの問題だ。しかし、今まで手が出せなかったような用事ができそうな雰囲気になる。これは良いことかもしれないが、逆に災に誘う罠かもしれない。
 気が真新しくなると、何か真新しいことをやってみたくなる。この気運に乗るなら今だ。三島は単純なので、ついその気になり、長年の懸案をここで実行しようと、心に決めた。この決まり方がスムースだったのは、寒波一過の、その日だけに限られる。普通のただ寒いだけの日なら、プランも縮んだままだろう。
 これは気分屋さんにありがちな罠で、三島もそれに填まってしまった。
 それを気運と解するより、ただの気持ちだ。気持ちよりも何かをするときは、人や状況だろう。天だけではなく、地と人の話になる。三島が得たのは天地人の天だけ。
 三島はその日から動き出し、仕事仲間や協力してくれそうな人々に連絡したり、実際に合ったりした。いよいよ行動を起こしたのだ。
 しかし周囲の人々から見ると、これ自体が大寒波で、台風のようなもので、通り過ぎるか消滅して、ただの低気圧になることを期待した。天の異変はじっと息を殺して、通過するのを待つしかない。
 数日後、また寒波がやってきた。当然三島はその影響を受け、動きが止まった。
 三島が方々に根回しをした大プランも、そのまま風のように、水のように流れた。やり投げだった。
 周囲の人達も、この三島の発作的な動きに慣れているので、本気で相手にしないため、被害は少なかったようだ。
 単純素朴で素直な人なのはいいのだが、そういう人が動き出すと、周囲の人々の幸せ度が減る。
 
   了

 



2016年1月31日

小説 川崎サイト