小説 川崎サイト

 

獣たちは故郷を目指す


 不満のない人は比較的静かにしている。不満のない人などいないので、不満の少ない人だろう。不満の多い人はよく動く。その不満を何とかしたいためだろうか。
 また、満足度のレベルを最初から小さく見積もっていると、不満度は低くなる。何事につけてもブツクサ不満を口にする人は、レベルが高いのだろうか。どの程度のものを与えれば満足するのか、それは見当が付かない。また、それで満足しきれるものかどうかも。これは際限がないためだ。
 不満があっても文句を言わず、諦めたり納得しがたいが、まあ仕方なしと思い、それほど神経質にならない人は、大人かもしれない。この大人とは世渡りを知っている人だろうか。ただ、うまく立ち回る人ではなく、防御一方の人かもしれないが。
 満足度を何処に置くかは、赤ちゃんを見ていれば分かるかもしれない。泣けば不満を満足に変えてくれる。これは泣くことが呪文で、魔法で解決するわけではない。誰かがフォローしているのだ。主に母親が。そのため赤ちゃんが持っている不満は、すぐに解消したりする。それで満足が得られると笑顔になる。しかし大人になると、誰もあやしてくれないし、不満を取り去ってはくれない。
 ということは、不満が多い人は赤ちゃんと共通点がある。その頃を懐かしがっているのか、あの頃のパターンに持ち込みたいのだろうか。不満を言わない人が大人だというのは、その逆側だろう。しかし赤ちゃんに比べれば大人と言うだけで、大人物ではない。悟った人ではないが、諦めることに気付いた人だろう。
 不満を満足に変えるには大変なリスクがかかることを知ったとき、黙っていた方が賢明に思えたりする。それが大したことでなければなおさらだ。
 しかし不満の多い人の方が動きがいい。不満を満足に変える行動で忙しいためだ。しかし、これは永遠なる満足感はないので、いつまでも続く。それを打ち切るのは、悟ったからではなく、疲れたのだ。
 不満があるのは人だけではなく、犬も猫も鳥も不満があるとブツクサ文句を言っている。
 しかし、胎内にいるときは満足を得られていたはずだ。ここでも不満を言っていた子供はあまり聞かないが、腹の中でよく動く子供はいただろう。不満で蹴りまくっていたのだろうか。
 満足を得る、その最終地点が胎内だとすれば、これは無理な話だ。不満が多い人は子供っぽく見えるのは、赤ちゃんではなく、お腹の中にいるときに向かっているためだろうか。しかし、その頃を回想するにも記憶がない。しかし身体は覚えているのだろう。
 赤ちゃんが産まれたとき泣くのは、その満足な宮から放り出されたためだと言われている。
 大人になると、泣いても何も起こらないので、泣かないようにしている。
 赤ちゃんのうちは泣く方がいい。泣かない赤ちゃんは危険だ。そうでないと周囲が異変に気付かなかったりする。犬や猫の親も、子が泣くと飛んでくる。これはブツクサ文句を垂れる不満とは意味が違うが。
 満足を得られるのは瞬間的であっても、それを得るための過程で、色々な副産物があり、不満の少ない人よりも、元気なようだ。それがいいのかどうかは分からないが。
 失われたものへの回帰、これは何が失われたのか、その記憶もないのだが。
 
   了


 


2016年2月9日

小説 川崎サイト