小説 川崎サイト

 

一陣の風邪


 インフルエンザが流行っているのか、吉田は頭が痛くなってきた。風邪の諸症状に合致するものが複数ある。風邪の引き始めのような感じだろうか。実際には感じではなく、具体的に来ている。喉がおかしい、濃い鼻水が出る程度なら気にしないのだが、頭が痛くなり出すと慎重になる。身体を慎重に動かさないといけないということではなく、色々な用件に対して慎重になる。あえてスピードを落としているのだ。体は鈍ってはいないが気の問題だ。無理をすると長引くし、寝込まないといけない。それを考えると慎重な行動を取りたくなる。これは安静にするのではなく、普段通りでもいいが、ペースをやや落とすことだ。これは心がけていないとできない。不思議と吉田は風邪っぽくなり、頭に来だしたときは苛つきが激しくなり、テンポが逆に早くなる。意に反してせっかちな人間になってしまう。そのため色々な用事や用件も、さっと決めてしまうため、あとで後悔することになる。
 だから、そういうときは静かにしている方がいい。つまり、物事の選択はこの時期、控える。そして内に籠もり、地味なことをして過ごすのが好ましい。
 しかし、いくら慎重な判断や熟考に熟考を重ねても決まらない事柄がある。ということはどんな決定を下しても、同じようなものかもしれない。そういう用件が二三ある。
 そんなとき、この風邪のときのイラッとした頭で、さっと片付けた方がよかったりする。
 そういう過去の例がないかどうか、吉田は思い出してみた。若い頃、頭がふらっとするほど風邪で熱が出ているとき、下した決定がある。このとき、腹も下したが、今考えるとそれは「どうかしていた」としか思えないほど、とんでもない決定だった。これは深夜の思い付きに近い。深夜の一人会議ほど、とんでもないことを思い付き、それで盛りあがることがある。当然一人で。
 そして翌朝、深夜会議の決定事項を思い出すと、そのとんでもなさに驚く。風邪で熱があるときと同じだ。
 しかし、そのとんでもないアイデアは、朝の夜露と消えるのだが、もしやっていれば、今とは違った自分になっていたかもしれない。これは冷静さに欠く判断だが、冷静ではできない判断もある。つまり冷静なときはいつもの自分の内、内地での決定になる。その内地から出ることは殆どない。それでは自分の殻の中での話になる。その方が安全なのだが、一皮むけた人間になれない。それを剥く、あるいは破るには、深夜会議の乗りが必要なのだ。
 後先考えないでの決定。これは冒険だ。保証も命綱のような安全装置が効かないところに行くためだ。
 これは惹き付けられるだけの磁力があるのだろう。理屈ではなく、情念的に。普段ならしっかりと押さえ込んでしまえるのだが、風邪で頭がイラッとしているとき、その押さえが緩む。これはチャンスかもしれない。
 吉田はそう思いながら、未決定なまま放置している用件を片付けてやろうと、家路を急いだ。風邪の引き始めなので、そこは慎重になり、家でゆっくり過ごすためだが、腹の中では決めごとを片付けるためだ。
 しかし蒲団を敷き、少し仮眠すると、頭の痛さは治っていた。悪寒もしなくなった。
「逃がしたか」
 吉田はいつもの臆病で保守的な頭に戻っていた。
 
   了

 



2016年2月10日

小説 川崎サイト