小説 川崎サイト

 

平屋の老人


 平田は引っ越してから二年ほど、この町に住んでいることになる。少し古い町内で、二年程度なら新参者だが、かなり前から空き屋が多くなり、取り壊して別の人が住んでいるため、昔ながらの人でなくても、気楽に住める町になっていた。
 ただ町に馴染みができるほど町に親しんでいたわけではない。この町が良くて引っ越したのではなく、偶然売り出し中の物件があったためだ。思ったよりも安いのは、既に出来上がった建て売りのためと、敷地が狭い。周囲の家に比べると半分以下しかない。これは一軒の家を取り壊し、二軒か三軒に分割したためだろう。
 しかし一人暮らしでは広い。子供が二人できても、それぞれ個室を与えられる。
 平田はこの町との関わりは何もなく、あるとすれば駅までの道沿いだろう。それも数分で町内を抜け、別の町内に入る。自治会が違うので、別の村へ抜けたようなものだ。そういう町内を三つか四つ通ったところに駅がある。
 そして平田はこの道しか歩かないので、その道沿いしか知らない。しかも朝と夜だけ。仕事があるので昼間は知らない。休みの日も、とりあえず駅まで出る。つまり寝に帰るだけの家であり、その通り道程度の町内だ。
 しかし毎日毎日その道を歩いていると、それなりに馴染んでしまう。
 町内を抜けるとき、二度ほど角を曲がる。最後の角に平屋の家がある。二年前はなかった。それを取り壊して、別の人が家を建てたではなく、二階屋を一階屋に建て替えたのだ。かなり古い家なので、立て替えが必要だったのかもしれない。住んでいるのはひょろっとした老人で、よく玄関先で鉢植えの世話をしている。顔を合わすこともあるが、老人は目を合わさず、そして挨拶を受けようともしない。これが暗黙の了解になり、老人がいても無視していた。むしろ無視しあった方が互いにいいのだろう。
 二階屋を平屋にしたのは、寄る年波のためだろうか。母屋はほんの少し地面から高いところにある。これは二階屋の頃は道と同じ高さだったので、洪水でも警戒してのことだろうか。そして道から玄関まではスロープと手すりが付いていた。この老人はしっかり歩いているので、さらに老いてからの用心だろうか。二階建てにしなかったのも階段が厳しいためかもしれない。それに一人暮らしなので、使う部屋など限られている。
 その老人とは三日に一度は顔を合わせる。実際には無視しているのだが。
 夏場だと庭に面した大きなガラス戸を開けているためか、老人が大きなテーブルの前で新聞を広げているのが外から見える。ご飯を食べる場所だろうか。それともリビングだろうか。外からでは食堂のように見える。八人ほどで囲んでもいいような大きなテーブルだ。しかし、何も乗っていない。
 ある夜の帰り道、その家の前に差し掛かると、真っ赤なテールランプとドアの音がした。タクシーから人が降りたのだろう。タクシーが去ったあと、白髪で丸眼鏡の上品そうな老婦人が玄関先でゴソゴソしている。見たことのない老婆だ。平田が近付くと老婆は愛想よく頭をぺこりと下げた。平田もつられて頭を下げた。
 家に戻ってから、作り置きのシチューを温めているとき、やっと分かった。
 女装で出掛けていたのだ。
 
   了

  


2016年2月12日

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