小説 川崎サイト

 

物怪について


 妖怪博士は本職の妖怪について考えている。本来本職のことはあまり考えないものだ。これは職種にもよるが、仕事になると、仕事中は考えるが、それが終わると仕事のことなど考えたくないのだろう。
 妖怪博士もその口で、妖怪のことなど考えていない。ところが今日は考えている。それは物怪についてだ。もののけ。これは「け」で獣のイメージになる。「ケモノ」は毛物だ。毛物となると毛の生えた生き物を差す。妖怪も全身毛だらけの化け物が結構多い。悪魔なども服を脱げば毛だらけかもしれない。
 物怪のケは怪なので、怪しいということだろうが、このケは気配のケとも通じる。
 さらにケはケガレの「け」でもある。声に出して「け」と言うと、それがよく分かる。
「ははは」は笑い声だ。「ほほほ」でもいい。しかし「けけけ」となると、それが差しているものが何となく分かるだろう。「けっ」とか「げっ」もある。驚いたときでというより、何かさげすんだときときに使う。つまらないものとかだ。「げすの勘ぐりの」のゲスもケをさらに濁らしている。汚くしている。あまり良いものだとは思っていない。
 物怪の「け」にはそういうニュアンスが含まれている。
 次は「もの」だが、これは物体としての物。物理学の「物」だ。不法品の取引のおり、「ブツは持ってきたか」の、あの物だ。そして物体ではなく、物事の物になると、これはストーリー性ができてしまう。ある事柄や状況を差している。
 では物怪の「もの」はどちらのものだろうか。おそらく両方だと思える。机が化ける。土瓶が化ける。物が化けるので物怪だが、机が妖怪なのか、机に化けた中身が妖怪なのかは曖昧だ。狐が壺に化ける。この場合、壺が化け物なのだが、仕掛けているのは狐だ。だから、中身は狐。
 妖怪博士は、そういうお化けの話より、物語について考えている。物が語る話だ。物がものを言えばうるさくて仕方がないので、声は出さない。ただ、物が何かを語っているように感じられる。勝手にそう思うのだから、本人を通してしか伝わらない。
 妖怪博士はお化けの話は仕事だけで、普段はもっと個人的レベルでの怪しさについて考えている。
 茶碗が割れたり、機械が故障したり、そういう話だ。失せ物もそうだ。さっきまであったはずのハサミがない。それでなくしたと思い、別のを買う。そしてある日、何処かの隙間に落ちていたのを発見する。何でもない話だが、個人レベルでは話が違ってくる。それは新しいハサミを買ってから些細なことだが、嫌なことが続く。ハサミとの因果関係は何もない。そして、なくしたハサミを発見し、いつもの所に置くと、続いていた嫌なことが止まる。ハサミをなくしていた時期と、悪いことが連続していたこととは関係がない。
 なくしたハサミが何かを仕掛けてきたわけではない。ただの偶然だが、このあたりの印象が、物怪になるのではないかと妖怪博士は思った。この思いは、ただの思い付きで、小学生が「そう思いました」レベルだ。
 しかし、なくしたハサミが何か信号を出し続けていたのではないかと考え出すと、ここから先はフィクションになってしまう。作り物だ。
 五感を超えたものが飛び交っている。ただ、その断片のようなものが、ふっと現実の中の物体に絡んで顔を出す。それが殆ど偶然に近い迷信のようなものだが、妖怪研究はこの迷信を殺していくところから始まっているのだが、実はこれには博士は否定的なのだ。しかし、商売柄、それは言えない。
 それで物怪だが、この言葉の響きから、それが差している世界は、結構古い階層のものではないかと思われる。神や仏が出る前の混沌とした時代からいたような。
 
   了

 



2016年2月16日

小説 川崎サイト