小説 川崎サイト

 

村田道士のご飯


 村田道士はご飯を食べようとしていた。しかし、ない。米を買うお金がないわけではない。ご飯があると思っていたのだ。味噌汁を作り、卵も焼き終えたので、茶碗にご飯を盛ろうと炊飯器の蓋を開けたとき、気付いた。ご飯がないことを。それよりも自分の茶碗に先に盛ろうとしていたことに気付く。まずは神仏が先だろう。神仏がご飯を食べるわけではないが、道士のご先祖さんに供えるためだが、これは習慣になっておらず、忘れることの方が多い。そのため仏茶碗のご飯はカラカラのままだ。前回供えたまま放置してある。この道士、仏徒ではないため、あまりそういうことはしないのだが、道士が育った家では、それが習慣になっていた。しかし年々廃れていき、仏壇ではなく、鍋の蓋にちょこんとご飯を乗せるだけで、器などはない。昔の竈神だ。今の炊飯器は蓋が全部開かないので、蓋の裏側にご飯を供えることはできないが。
 そういう話ではない。ご飯がないので村田道士は近所のコンビニへ走り、レトルトのご飯を買い、それをチンした。味噌汁が少し冷めた程度で、普段通り朝食を食べることができた。
 村田道士は相場道士と言われ、その方面で食べている。株屋ではない。予想屋だ。
 しかし、その暮らしが貧しいことから、それほど流行っていないのだろう。各市町村にそんな相場道士が何人もいるとは思えないので、特殊な職種だろう。当然、真っ当な話ではない。道士と言われるのだから。
 そして夕方になったので夕飯を作る。朝、食べてから夕方まで特に何もしていない。食事の準備だけ。
 村田道士は米を洗い、炊飯器にセットする。これで朝のようにご飯がないという不都合は起こらない。
 ところが起こった。夕食は野菜の煮物とシュウマイ。これを作り終え、炊飯器を見ると保温になっているので、さあ食べようと蓋を開けた。ご飯はしっかりとある。何の不都合もない。しかし、シャモジを入れたとき、これは、という予感がした。シャモジが滑り、鍋の底を突いた。ご飯に突っ込んだシャモジに抵抗がない。あたりが弱い。鍋の横のご飯が滑る。
「ごっちん」
 これは炊けているように見えて、米粒の中がまだなのだ。この炊飯器で炊いたとき、数ヶ月に一度ほど起こる。それは炊飯器の底に固いご飯粒が落ちていたりすると、熱がよく伝わらない。または、蓋をパチンとしっかりと閉めなかったからだ。これは鍋の縁に固いご飯粒が残っていたりして、それで浮いてしまうため。そのことを道士は知っていたので、炊く前は必ず指で抵抗物がないかどうか確認している。今回は甘かったようだ。
 村田道士はすぐにコンビニへ走り、レトルトご飯を一つだけ買って戻り、夕食とした。朝も買い、夕も買っている。こんなことは、と考えているとき、お客が来た。
「お食事中でしたか、道士」
「ああ、かまわんよ」
「今回もまた、お教え願いたいのですが」
「大変なことが起こるだろう」
「そうなんですか」
 それは当たっていた。二日後、株が下がり、大暴落になった。
 道士がそれを読んだのは、簡単な話だ。殆どない事が起こったからだ。それはコンビニへレトルトご飯を買いに行ったことだ。それは数ヶ月に一度はあるので、とんでもないことではないが、同じ日に二度は今までなかった。
 村田道士の予言を信じたその客は、株を売り、損出を免れたが、儲けたわけではない。しかし、お礼に段ボールを持って道士宅を訪ねた。
 段ボールを開けると、そこにはレトルトご飯の束が腐るほど入っていた。
 
   了

 



2016年2月17日

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