小説 川崎サイト

 

もう一つの階段


 沖山は階段を間違えたようで、別の場所へ出てしまうと思いながらも上へと向かった。いつもは西側の階段なのだが、東側の階段になっただけで、大した違いはないはず。同じ通路に出るはずだ。雑居ビルで事務所や店舗が入っている。
 東側の階段を使ったのは、トイレに寄ったため。その階段近くにトイレがある。
 通路に出た沖山は西側へ少し戻ることになる。いつもなら階段を上がり、取っつきにある事務所に伝票の束を渡すのが仕事だ。デジタル時代、そしてネット時代に伝票がいるのかという話だが、そこの事務所の社長が紙の伝票を繰るのが好きなのだ。そのため、わざわざ沖山は配達している。客により、色々と要望があるので、仕方がない。しかし、本社からこのオフィスまで地下鉄で五駅もある。わざわざそのために来ているわけではなく、他にも回るところがあるため、そのついでだ。ただ今日はこれだけで来た。偶然、その日はこの方面へ寄るような用事はなかった。
 沖山は通路を西へ移動し、いつもの事務所へ行こうとしたが、ない。段を間違えたのかと思い、その脇にある階段のプレートを見ると、合っている。二階だ。しかし、取っつきにある事務所が消えてなくなるわけがない。いつもの階段からだと左側にある。それで勘違いしたのかと思い、右側も見るが、ない。
 その事務所にはドアに社名が書かれているのだが、それがない。部屋が消えたわけではないが。向かいのドアは無印で、何が入っているのかは分からない。
 沖山はいつものドアをぐっと引いたが、開かない。ノックしても反応がない。反対側のドアも同じだ。
 あの事務所は引っ越したのだろうか。それなら連絡が入るはずだ。
「ああそうか」と、沖山は勘違いに気付いた。別のビルに入ったのだろう。そういえば通路が狭いように見えるし、壁の色も天井の蛍光灯も、少し違うような気がする。いつもならささっと階段を上がり、取っつきのドアを開け、さっと中の誰かに伝票を渡して、さっと階段を下りて、ビルから出る。そのためかビルの中などよく見ていないのだ。
 間違いに気付いた沖山は、いつも使っている西階段を下りた。
 下りると玄関がすぐ前にあるはずなのだが、ない。階段の踊り場に出ただけで、一階の通路もなく、また下りるしかない。来るときに入ったトイレにも行けないではないか。
 沖山は仕方なく、下へ向かったが、事情はそこでも同じだ。これは非常階段かもしれない。フロアの通路に出られないのは、防火扉で塞がれているためだ。しかし、普段は開けているだろう。エレベーターはない。非常階段など探したことはないが、ビルの外側だろう。
 仕方なく沖山は下へ下へと向かった。
 そこでも事情は同じで、計算すると地下三階か四階まで下りたことになる。
 階段はさらに下へと続いているようだ。
「ああ、これは夢を見ているんだ」と沖山はこの状況をそう解釈した。
 そのうち何処かで覚めるはずなので、このまま下り続ければいいのだ。
 案の定、下田が目覚めたのは布団の中で、当然遅刻だ。いつもの目覚まし時計が止まっている。運悪く、電池切れだったようだ。
 急いで出社し、すぐにあの事務所にある五駅先のビルに入った。伝票を届けるためだ。
 そしていつものようにドアを開け、伝票を渡そうとしたとき、社長が偶然そこにいた。
「いつもご苦労さん」
「いえいえ」
「たまにはお茶でも飲んで行きなさいよ」
 そこで雑談となり、東階段の話をした。
 しかし、このビルには階段は一つで、西も東もないらしい。
「トイレの横にありませんでしたか、階段」
「君はどうして、それを知っているんだ」
「え」
「あの階段、幽霊が出るらしくて、もう何年も前に塞いでいる。今は物置になっているが、怖くて、誰も入らないがね」
 
   了




2016年2月20日

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