小説 川崎サイト

 

袋小路の喫茶店


 古いオフィス街。これは証券取引所があるので、その時代からあるようなレトロビルが多少残っている通りだ。最初からレトロとして建てたものではなく、当時はモダンな近代建築だったのだろう。それ以前は商家が立ち並んでいた。その面影は何もないが、歴史の積み重ねのような、何か籠もったような空気がその一帯にはある。
 その通りから一つ入った狭い裏筋の奥に喫茶店がある。ここはそれほど古いように見えないのは、レトロっぽい建て方をしなかったためだろう。建った当時はよくある飲食店で、今でいえば昭和の喫茶店だ。
 この喫茶店、客は誰もいない。常連客さえ消えている。しかしそれでも営業している。これは儲けにはならない。裏通りとはいえ、ビジネス街の中にあるのだから、モーニングやランチメニューを出せば、そこそこ客が付くはずなのだが、最初からその気はない。生粋のコーヒー専門店のためだ。これがいけない。喫茶店はいいのだが、コーヒーだけの専門店になると、何やら堅苦しくなる。それがチェーン店ならかまわないが、怖そうな顔をしたマスターがやっているような店は、間違って入ることはあっても、二度と来ないだろう。
 コーヒー用の水はマスターが山から汲んできた湧き水で、もうそれを聞いただけで、清さより、重さを感じる。
 当然飲み方にも注文が入る。それ以前にシュガーもフレッシュもない。それを入れて飲むのは邪道というより、コーヒーの味を殺すため、ふさわしくないのだろう。アイスコーヒーなど邪道中の邪道で、当然作らない。
 メニューはそれだけだが、塩豆か南京豆、またはバターピーの小皿が出てくる。これは許されているようだ。コーヒーに悪い影響を与えるかどうかはマスターの好みで決まる。この三種以外、食べ物はない。
 飲み方にも作法があり、まずはお冷やから始まる。その前におしぼりやお手ふきが欲しいところだが、そういうのは最初から置いていない。値段の高い喫茶店のわりにはサービスが悪い。夏など、おしぼりで顔を拭いたり、耳の後ろや首筋を拭きたいだろう。当然、手もそれで拭きたい。ところが、それらはない。
 まずはお冷やを飲み、口を清める。しかし、うがいはしてはならない。先ず舌を清める下拵えのようなものだ。
 さすがにコーヒーは適度な温度で出てくるので、そのまま飲めるのだが、飲み残しは許されないどころか、時間を掛けてぬるくなった状態で飲んでもいけない。さらにそのコーヒーカップが非常に小さい。濃いタイプで、その種のコーヒーもあるのだが、それではない。
 コーヒー豆や、その煎り方にうるさく、そういう機材が並んでいるわけではない。豆ではなく、いれかたの人だ。試験管の太いような、特大の注射器のようなもので、ポタリポタリと落ちてきた茶色い液体を、溜めて出すタイプで、それを容器に溜めているのだが、その容器が何と真鍮のヤカンなのだ。ここに大きな隙があるのではないかと誰もが思うのだが、マスターはこれが一番だと思っている。これで温めて出す。
 最初の頃はツーぶった人達が来ていたり、また、珍しい店なので、誰かを連れて来たりしていたが、そういう客も消え、今は店にいるのはマスター一人で、これは完全に人の家になっている。人様の部屋に見ず知らずの通行人が入れないように、誰も寄り付かない。これがもう少し人通りの多いところにあれば、間違って入る人もいるだろうが、道一つ入った枝道の奥、そこで行き止まりになる袋小路のため、通行人も途中で引き返す。
 マスターがそういう性格なので、隣近所との仲も悪く、年を取り、結構な年齢になっても、丸みは出ず、ますます頑固な鬼豆のような性格になっている。
 このマスターを支えているというより財布を握っているのはよくできた奥さんと子供たちだ。マスターは悪人でも破壊者でもなく、ただ妙な喫茶店をやっているということだけが悪となっている。他にそれほど欠点はない。だから、喫茶店さえやらせておけば、このマスターは凶悪化しない。
 奥さんは、このマスターの凶暴性、異常性が分かっている。だからこそこの喫茶店に閉じ込めておくのが一番だと。
 このマスター、江戸時代からこの町に住んでいる町屋の旦那筋の末裔で、証券取引所周辺に土地を持っているのだ。昔はここで米相場が立っていた。そんなことでもなければ、客が一人も来ない喫茶店などやっていけないだろう。
 
   了

 


2016年2月25日

小説 川崎サイト