「さあ、それはどうかな」が、古谷の口癖だった。疑問を投げかけるだけで、否定するわけではない。しかし古谷がその言葉を発したときは否定を意味している。少なくとも賛成はしない。だが敢えて否定はしない。
「やってもいいんじゃないですか?」
「だって、古川さんが」
「駄目だとは言ってないわけでしょ」
「同じ意味なんだ。あの人が、そんな言い方をするときは」
「もし、実行すればどうなります」
「実行者の責任で、古川さんの責任ではない」
「でも、責任者でしょ」
「あの人は問われない」
「じゃあ、否定すればいいんだよ。はっきりと。それなら取りやめるのに」
「否定したくないんでしょ」
「一度問いただしてみるか……」
「おいおい、答えは出ているんだから、無駄だよ」
しかし、その研究員は所長室のドアをノックした。
古川所長は研究員の話を静かに聞いた。
「それはどうかな……」
やはり、その言葉が飛び出した。
「駄目だということですか?」
「とは、言っとらん」
「では、やってみたいと思うのですが」
「それはどうかな……」
研究員は、その壁にぶつかった。
「何か悪い箇所でも」
「そうは言っとらん」
「では、やってみようと思うのですが、よろしいでしょうか」
「それは、どうかな……」
やはり、ストップがかかる。
研究員は、ここで引くべきだとは思うのだが、突破を試みた。
「とりあえず進めます」
古谷は黙った。
この顔色で判断せよと言わんばかりだ。
「やってみます」
古川は答えない。沈黙が否定を表している。
「進行状態は逐一報告します。では」
研究員は、部屋から去ろうとした。
古谷は引き留めない。
許可を与えたとも与えなかったとも判断出来ない。
古谷は研究員の案は失敗すると判断していた。だから、暗に否定したつもりだ。
半年後、やはり失敗に終わり、多くの研究費や時間が無駄に終わった。
研究の中止を申し出た研究員に、古谷はまたあの言葉を発した。
「さあ、それはどうかな……」
了
2007年3月5日
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