小説 川崎サイト

 

懐かしい世界


 懐かしく、そして故郷のように思われるイメージは、意外とフィクションかもしれない。これはそんな世界など実際にはなかったのに、そう思い込んでいるわけではない。それとは別に、本当のフィクションだ。これは個人が勝手に作った心象風景ではなく、本物のフィクション。つまり映画や漫画やアニメや小説や絵本や、音楽や写真でも何でもいい。
 この自分にとって故郷のような原点のような世界は、誰かが作ったフィクションで、現実のものではない。現実を舞台にしたものでも、そこに演出が加わり、任意の印象となる。
 要するに自分が本当に体験した世界ではなく、フィクション世界に原点がある。それは現実よりも濃いためだろうか。さらに偏りがあり、もっと言えば現実には有り得ない世界となっている。
 この故郷のように懐かしく、そして気が向けば戻って行ける世界。またはある日、その作品なりを偶然接したとき、その片鱗を見たり聞いたりしただけでも、一気にそこへワープできるだろう。
 これは幼少期の話ではなく、思春期に触れたフィクションだろうか。どっぷりとその世界にはまり込んだ作品ほど、故郷性が高い。これは恥ずかしいばかりに。
 だから、これは実際の故郷でもなく、原風景でもない。それらはリアルな存在としては最初からない。
 例えばラジオなどから急に昔の曲が流れてくると、一気にワープするだろう。つまり、「あの頃」に。
 そのあの頃が故郷なのだ。そして、それが物語り世界なら、それに填まっていた頃の自分の暮らしぶりなどが見えてくる。その頃思い描いていたこととかだ。
 流行歌などは、モロにそれで、その頃が蘇るが、何度も聞くと、もう薄くなるが。
 特に視覚的なものは、ずっとそれを繰り返し繰り返し見ていると、そこに出てくる風景などが焼き付いてしまい、何十年後かにそれを見た場合、その故郷が一気に流れ込む。
 この故郷とは、第二の故郷で、もう一つの世界だ。その作品などに出て来る町並みは、実際の場所をモデルにしたとしても、やはりもう一つの世界なのだ。だから、同じ場所に行ったとしても、その作品の場所とは違っていたりする。
 現実に奥行きがあるように、その作品世界の風景にも奥があり、その一面だけが書かれていると思うことで、書かれていない周辺もある。
 この懐かしいような故郷は、その後、もっと大人になり、年寄りになっても、いつもその世界と重ねてみてしまう。何故なら、その故郷の出身のためだ。重ねたり、比べたりする。またはだぶって見えたりする。くどいようだが、その故郷は何処にも存在しないのだが。
 そのため、その故郷は複数持つことができる。あの頃、気に入って聞いたいた音楽、漫画、テレビドラマ、何でもいい。それらに何かを見出したので、気に入ったのだろう。つまり自分の本性と強く繋がっていたからこそ、気になったのかもしれない。
 それらは、そのフィクションを作った作者の意図とは何の関係もないところでも発生している。
 またその作者は、自分にとっては巫女のようなもので、その巫女を通して、故郷の様子を垣間見させてくれるのかもしれない。
 
   了


 


2016年3月2日

小説 川崎サイト