小説 川崎サイト

 

妖怪市場


 この世には存在しないものがある。知らないだけで、実は存在しているものもあるが、どう考えても論理的に無理だと思えるものがある。どう見ても、どう探しても存在しない。存在しないことがどうして分かるのというと、根本的なことで分かる。例えば地球のすぐ近くにもう一つ地球があるとかだ。それなら見えているだろう。そして月のように、もう一つの地球を常に見ていることになる。
 吉田はあらぬことを想像するのが好きだが、それは最初から嘘であり、有り得ないことだと分かった上でのことだ。これは空想を楽しむ程度のもので、それが現実上にあるとは決して思っていない。そこまで頭は悪くはないし、常識もある。
 その吉田、仕事がなくなり、暇で暇で仕方がない。次の仕事をすぐにでも見付けないといけないのだが、実は働きたくない。また、仕事場で一から始めないといけない。以前、勤めていたところは何年にもなるので、居心地は良かったが、居づらくさせられて追い出されただ。要するに主任が代わり、この若い人が、吉田を苦手にしていたのだろう。吉田もふてぶてしかったので、まともに相手にしたためか、喧嘩になった。ベテランだけに、油断し、横柄な態度を取り続けた。
 それで、昼間からぶらぶらしているとき、妙な鞄をぶら下げた老人を歩道で追い越した。その鞄が気になるので、すぐに振り返り、それは何かと聞いた。鞄であることは間違いないのだが、笊のような鞄で、今で言えばトートバッグだが、穴が空いている。これは竹か何かで編んだものだろうが、かなり粗い。鉛筆が通るほど。しかも空なので、鞄として使っていないのではないかと、少し疑問を感じた。だから、鞄ではなく、別のものだと。
 老人によると、それは市場籠というものらしい。買い物籠だ。これから市場へ買い物に行くところだという。しかし、この近くにそんな市場はない。雑居ビルや住宅や工場などが混ざり合う雑雑とした場所で、吉田はこの町をそれなりに知っているが、スーパーならあるが、そこは潰れた。
 老人によると、そのスーパーがあった場所に市場があるという。当然そんなものはないことを吉田は知っていたので、この老人、本当は何処へ行くのかと心配になり、また、一寸意地悪したくなり、一緒に連れて行ってくれと頼んだ。
 しばらく行くと、予想していたように、廃墟のようになったまま放置されているスーパーへ向かっていた。スーパーのことをこの老人、市場と言っているだけのことかもしれないが、買い物などできるような場所ではないので、それもおかしい。
 やがてスーパーの前まで来たが、そこは柵ができており、中には入れない。そのまま老人は横の道に回り込み、スーパーの裏側へ続く路地に入った。
 その先に何と市場がある。吉田は目を疑った。見えていないものが見えるようになったのかもしれない。
 近付くと、そこは確かに市場の入り口で、小さなアーケードが洞窟のように口を開けている。非常に狭い通りだが、人が溢れている。
 そういうのが見えているだけだと思っていたのだが、歩いていると人とぶつかった。狭い通りを自転車を押しながら買い物をしている客もいる。その自転車を見たとき、その年代が何となく分かった。こんな自転車、今はもう売られていないだろう。
 えー、らっしゃい、らっしゃい、安いよ、安いよ、と声が聞こえる。大勢の客がせわしなく目を動かしている。物色しているのだろう。
 老人は大根を一本八百屋で買い、それを籠に入れた。市場籠とは、市場で使う買い物鞄だったのだ。さらに肉屋でコロッケを買い、青い色の紙に包んで貰い、それをまた市場籠に入れた。金物屋で大根下ろしも買っている。それを裸のまま市場籠に入れた。
 そのうち、吉田は老人を見失い、人混みに押されるようにして、入ったときの入り口とは別の場所へ出た。そこはモータープールで、その先はまた細い路地で、ブロック塀に挟まれており、左右は旅館と書かれた看板があるので、旅館だろう。普通の二階建ての家にしか見えないが。
 そのブロック塀の路地を抜けると、スーパーマーケット跡の表側の通りに出た。
 この吉田の体験、有り得るわけがない。また何処からその世界へ入って行ったのかも分からない。いつの間にか入っていた。
 散歩中、前を行く市場籠をぶら下げた老人が怪しい。
 後に吉田はこの話を妖怪博士にした。すると博士は、それは妖怪市場です、と答えた。市場に出る妖怪ではなく、市場が妖怪らしい。
 
   了

  



2016年3月6日

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