三流作家の思い出
とある三流作家が近所に住んでいることを知り、青年作家が訪問した。近いだけ、ということだが、本物の作家に会うのは、これが初めてだ。その作家は作家年鑑に載っており、友人から、それを借りたのだが市名しか書かれておらず、番地までは分からない。そこで、その作家の名で電話帳を調べると、モロに出てきた。早速電話し、会う約束ができた。
青年作家はまだ作家ではない。作家の卵だ。訪問先の三流作家はそこそこの年齢で、もし有名人なら大家だろう。アパートの大家ではない。
その作家の作品など読んだことがない。何処で発表しているのか、分からなかったのだが、友人が教えてくれた。とある三流誌だ。
その本は本屋にもないので、青年作家は出版社にいきなり注文し、手に入れた。
その作品を読んでも、別に何も興味は起こらなかったが、良くも悪くもない。しかし、キャリアが結構長く、青年作家よりもはるかに若い時代にデビューしていた。これは作家年鑑に書かれている。しかし、記載は少なく、他の作家はもっと行数が多いのだが、この三流作家は基本的な情報しかない。
そこは青年作家にとって、本当に近所で、アパートや文化住宅の多い一角だった。ブロック塀に囲まれた長屋のようなものがあり、その門は最初から開いている。門そのものがないのだろう。中庭のようなものがあり、それに面してドアがずらりと並んでいる。洗濯機や自転車なども並び、玩具のような三輪車が横を向いていた。空気が抜けて柔らかそうになったバレーボールが溝に挟まっている。
三流作家の部屋は表札が出ていたので、すぐに分かった。
「ああ、よくいらしたなあ。もう暑いので、冷たいお茶でも飲みますかな。麦茶ですが」
「はい」
「私のような者を訪ねて来ても、何も良いことはありませんよ」
「いえ、若い頃から活躍されているので、驚いています。それにこんな近い場所に住んでおられるので、驚きました」
「そうですか」
「僕はまだ卵ですが、何かご指導を」
「ご指導かね。そんなものはないが、この世界、評判になると終わる」
「はあ、そうなんですか」
「作家として終わるんじゃないよ。人間としてだ」
「評判を気にされるタイプですか」
「私かね。私は評論の対象になったことなど一度もない。そんな作品じゃないからね」
「でも、ずっとそれで食べてこれれたのでしょ。プロなんでしょ」
「まあ、そうだがね」
「もしかして、評論家が嫌いなのですか」
「嫌いも何も、評論などされたことがないので、そうではないがね」
青年作家は、そのあと、色々と質問をしたが、特に変わった解答は得られなかった。普通のことを普通に言っているだけの常識人だった。
青年作家は麦茶をコップ三杯飲み、トイレを借りて、そのあと、お暇した。
中庭の溝、これは樋からの雨水を流す溝だろうが、そこに挟まっている薄汚れたバレーボールを青年は足で蹴った。すると、簡単にボールは溝からポンと抜け、洗濯機に当たり、止まった。
この青年作家、後に有名な人になるのだが、この日のことはもうすっかり忘れていたのだが、晩年になって、思い出したようだ。
あの三流作家はかなり高齢まで現役で書き続けた。そして誰も注目せず、話題にもならなかったので平穏な一生を送ったのかもしれない。ある意味、これは奇跡だ。
了
2016年3月9日