小説 川崎サイト

 

裏道の徳三郎


 裏道の徳三郎がいる。裏街道、裏の社会を歩いている男ではなく、車が少ない裏道を歩いているだけの男なので、それほど語ることでもない。これは近道だと誰でも通るだろう。それにそこが裏道だとは思っていないかもしれない。車の多い幹線道路から見てこその裏道、抜け道なのだ。これは近道になったり、大きな道路が渋滞しているとき、裏道を使うことがある。この場合、裏道の徳三郎言うところの裏道には該当しない。逆に車が多いため、幹線道路の歩道を歩いている方が安全だったりする。しかし、徳三郎は、そういう道は滅多に歩かない。これをメジャーな道と呼んでおり、メインストリートと呼んでいるが、郊外によくある幹線道路だ。
 徳三郎は幹線道路沿いの店舗や、ビルなどの裏側に面した通りが好きだ。これは並行して走っていることが多い。その楽しみは裏が見えること。表は綺麗になっていても、裏口は結構ぞんざいで、汚らしいことがある。それを見ると、ほっとするらしい。
 また、住宅地の中の道でも、左右の門や玄関口のある通りではなく、もう一つ裏側の狭い道に入ると家の裏に出る。裏と裏とが背中合わせになった通り、洗濯物を干していたり、庭があれば、庭木や道沿いに鉢植えが並んでいたりする。当然、駐車場は表側の道に面しているので、車の姿は滅多にない。
 表があれば裏がある。さらに横もある。当たり前の話だが、徳三郎の楽しみは、そういった裏道、横道沿いの散策コースを歩くことで、また新規に開拓することだ。こんなもの開拓しても、一円にもならないが、目の楽しみにはなる。
 裏通りは結構ゴチャゴチャしており、表通りよりも隙がある。油断しているのだ。表ではすました顔をしていても、裏で間の抜けた姿を晒していたりする。両方見ても真実など分からないが、何となくその持ち主が想像できる。
 徳三郎が特に好きなのは、人目がないことを幸いに、結構汚いままの塀や裏庭を見ることだ。捨てるに捨てられないような大型ゴミに近いものが積まれていたり、伸び放題の枝や雑草で覆われた庭とかだ。
 裏道の徳治郎は、そうして裏道散策をしているとき、一番見たかったほどのレベルの高い傑作な裏側を見た。期待以上の荒れ方で、雨戸が半分閉まっているが、その雨戸も破れている。長く開け閉めしていないのか、もう動かないのではないかと思えるほど。それと途中で折れた洗濯竿。これは珍しく竹製だろう。えげつない庭が残っているものだと感心しているうちに、何処かで見た覚えがあることに気付いた。その「もしや」は当たった
 裏道の徳三郎の家だった。ぐるぐる回っているうちに戻ってきたのだが、案外自分の家のすぐ近くはじろじろと観察していなかったのだろう。
 傑作は自分の家の裏側。それなら何も裏道伝いに見て回る必要はなかったのかもしれない。
 
   了


 


2016年3月19日

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