小説 川崎サイト

 

忘れないで


 今村は色々なことを思い出していると、朝まで寝れなかったりする。実際には、もうこれぐらいでいいだろうと思い、眠ってしまう。これは眠くなったので、過去の思い出など思い出している場合ではないためだ。床についてから思い出を思い出すようにしているのだが、きりがない。
「忘れないでください」「忘れないで」「覚えておいて欲しい」「このことはずっと胸に刻んで貰いたい」等々、数えれば百も二百にもなるだろうか。その中には「忘れないで欲しい」ということを忘れていることもある。
 この「忘れないで」は世話になった人や、または不本意ながら怨まれている場合、恨み言としても残っている。「決して忘れないぞ」「一生覚えておくからな」等々。
 今村は義理堅いので、可能な限りその「忘れないで」を取り出すのだが、忘れないように思い出していると、数が多いだけに朝までかかる。そんなことを朝までやっていたのでは睡眠不足だ。ただ、そこまでいかないのは、途中で寝てしまうためだろう。そして朝から、また「忘れないでシリーズ」をやらないといけないとなると、ただの思い出しマシーンになってしまう。溜め込んだ録画番組を全部見るには一生かかったりするようなもので、生きている暇もない。
「忘れないで」に麻痺すると、その一つ一つが薄くなり、覚えているかどうかだけが問題になり、記憶ゲームになったりする。
 最初の頃は思い出す度に胸に来るもの、つまり実感があったが、何度も何度も思い出していると、もう薄いもにになってしまった。
 逆に思い出すつもりなどないのに、急に思い出したこと、そちらの方が鮮度が高いのか、実感がある。だから、無理に忘れないように思いだしたものは、迫ってくるものがない。
「忘れないで欲しい」と言われたり、「忘れないでおこう」の定番以外に、今村にも普通に忘れられない思い出がある。これも似たようなもので、何度も何度も思い出していると、実感が薄れる。
 それらとは別に、意外といつまでも覚えているものがある。それは実に何でもないようなことで、大事なことではない。例えば海水浴場の海の家で食べたおでんが美味しかった。これは重みも意味合いも何もない。案外こういうのを思い出すのだ。
 これは雪山で遭難した人が、じっと救助を待つ間、思い出していたのは人生ではなく、野辺に咲いていた花だったり、子供の頃買いに行ったたこ焼き屋の屋台だったりする。つまり、たわいもないようなものが、最後の最後に脳裏に浮かんだりする。幸い救助され、あとでその話をしたので、この話は伝わっている。
 今村にもそれがあり、忘れてはいけない大事な記憶の合間合間に、実にたわいない思い出が飛び込んできたりする。また、忘れてはいけない事柄ではなく、それで急に思い出した、別の事柄へ移行する。あのとき着て行った上着は高かったとか、そのあたりだ。
 今村は几帳面に、今夜も蒲団に入るとそういう忘れてはいけない事柄を思い出しているのだが、ふと目を開けると、蒲団の横に何人も何人も順番を待っている人が通夜のように座っていたりする。
 
   了



2016年3月24日

小説 川崎サイト