小説 川崎サイト

 

玉手山寺旅行記


 ローカル線の車両で前に座ったおかっぱの女学生が蜜柑をくれた。高橋は酸っぱいものは苦手だが、一応受け取った。女学生はたまにちらっと高橋を見る。その視線はすぐに分かる。蜜柑を食べないのかと、催促しているように見えたので、高橋は皮を剥いた。
 女学生は次の駅で降りた。他の乗客も、殆どそこで降りたようだ。乗換駅で別の路線と繋がっているためだろう。箱を見ると乗客は高橋だけ。余程この先へは行く人がいないのだろうか。その場任せの旅行のため、何処で降りてもかまわないが、泊まるところのある町の方がよい。しかし、今はそんな先のことなど考えず、ホームを見ている。するとホームが静かに動き出す。
 列車は山裾を縫うように走り、何度か山を越えたようだ。低い山ばかりで、田圃が続いている。線路がいきなり田圃の中を走っているようなもので、柵もない。踏切を一つ越えるのか、音がする。小さな道が左側から来ている。電柱だけがぽつりぽつりとある。
 この辺りで降りると、宿屋がない。しかし小さな村があるらしく、農家が何軒か見える。
 降りた駅は無人駅で、駅前には何もない。正に土饅頭だけの駅だ。
 高橋は車窓から見えていた道まで戻り、その先へ向かった。水平線の彼方まで続いているような道だ。
 やがて農家が近付いて来た。その中央部にバスの停留所があり、小屋のような建物の中にベンチが並んでいる。村の人は鉄道ではなく、このバスを足にしているのだろう。郵便局や農協、薬局や銀行まである。こんなところにある銀行は珍しいと、中を覗くと無人で機械だけがある。
 リヤカー付きの自転車が急に前に止まった。タクシーのようなものらしい。一体ここは何処の国だろう。案内しますよと、車夫が言うので、乗ってみた。自転車は電動アシストらしく、結構早い。玉手山寺という寺があり、そこが名所だという。何の名所なのかまでは分からないが、この玉手山寺ぐらいしか観光資源はないのかもしれないが、長閑な農村風景がそのまま観光地になりそうだ。
 玉手山寺は山の取っ付きにあり、すぐに分かる朱色の鐘撞き堂が見える。玉手山寺とはどんなところですかと聞くと、車夫は玉手箱があるという。
 高橋はその手の話に詳しいのだが、玉手箱がある寺など聞いたことがない。きっと嘘だろうと思いながら、参道下で降りた。観光リヤカーがもう一台止まっている。
 参道は全て階段で登りだ。それほど段数はないので、すぐに山門まで出た。
 本堂の手前でおみくじなどを売っている建物があり、そこに朱色の衣服を着た女性がいる。そして客引きのように、高橋を誘う。モロに手招きだ。
 玉手箱をやりますか。と言ってきた。そんな習慣はないし、また行事もないはず。好奇心旺盛な高橋は、旅の土産話になると思い、やってみることにした。
 朱色の女性は仏子と言うらしい。巫女のお寺版かもしれないが、聞いたことがない。尼さんでもないようだ。聞くとバイトらしい。
 本堂の扉を横から開け、本尊の玉手観音の前に豪華な玉手箱が並んでいた。手提げ金庫のような形だ。
 どの玉手箱にするかと言われ、左から二番目にした。他の玉手箱は黄色っぽいが、その玉手箱だけは緑が少し入っており、配色が良かったのだろう。
 では、と仏子はその玉手箱を掲げ、歩き出した。そして、こちらでお開けくださいと案内される。
 案内されたのは本堂の横からの登り口で、また階段があり、上にお籠もり堂がある。その前で玉手箱を渡された。あとは中で一人で開けよというコースらしい。
 高橋は恐る恐る紐を解き、玉手箱を開けた。
 何も変化はない。お爺さんにはならなかった。
 以上が高橋の旅行記だが、実際には誰とも会話などしていない。廃村に近い村の駅で途中下車し、少し歩いただけのようだ。
 
   了

 


2016年3月30日

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