小説 川崎サイト

 

夢遊行


「最近何処かへ行かれましたか」
「今朝もここに来ているので、これも出掛けたことになる」
 図書館前にある公園だが、将棋を指しに来る人が多く、将棋公園と呼ばれている。児童公園と違い、町内の人は少ない。余分にある公園で、図書館の敷地が広いため、その前庭や周囲を公園化しているのだが、実際には公園ではない。ただ、暗黙の了解なのかベンチが並んでいる。しかも間にテーブルがあり、小さな椅子もある。この椅子は持ち込まれたものだろう。
「夢の世界に行ってました」
「ほう、夢」
「そうです」
「どんな」
「それはねえ、入ってみなければ分からない」
「ほう」
「スーと入って行くのですよ。このスーが難しい。今のことでドタバタしたり、気になるようなことがあると、そちらに頭が取られてしまい、スーとは入れない」
「何処に入るのですか」
「だから、夢のような世界です。うたた寝しているわけじゃありませんよ。しっかりと起きています」
「例えば」
「例えばですか。まあ、昔の思い出でしょうか。何かを思い出そうとして思い出すのではなく、スーとその世界に入ります。入ってみないと分からないのはそのためです」
「それを夢の世界と」
「そうです。そこへ行くのが楽しみなんですが、これは心が静かなときじゃないと入れません」
「ぼんやりと物思いに耽っているようなものですね」
「思ってなどいません。感想は抱けますが、考えたり、思ったりまではしません。眺めているよう感じです」
「昔あったことを再現させていると」
「いや、同じじゃないのです。夢の世界と同じで、出て来る人の性格が違っていたり、役目も違っていたり、また、関係のない人と仲良くやっていたりとかします」
「やはりそれは夢を見ているのでしょう」
「いや、起きています。それを見ながら、目の前のものも見ていますし、近くに人がいれば、話し声も聞こえます」
「おお、そこは」と、横から声がする。将棋を指しているのだ。
「この夢遊行は、いい状態のときに行けます。例えば今、悩み事があった場合など、それで頭が占められているので、夢遊行の出番はありません。だから、ぼんやりとできる精神状態のときに旅立てます。これはいい状態です」
「ほう。今日はどうですか」
「さあ、どうですか。今、こういう話をしましたので、きっと夢遊行に意識的になって、だめでしょうなあ」
「ところであなたは、ここで将棋をしないのですか」
「はい、立場上」
 男は、時計を見て、立ち上がり、図書館に戻った。
 その男が誰であるかは、この将棋公園の人達は知らない。なぜなら、誰一人、入り口のトイレ以外、図書館内に入った者はいないからだ。
 
   了



2016年4月2日

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