小説 川崎サイト

 

浦神渓谷温泉


 浦神渓谷の秘湯は本当に目立たないところにある。温泉は掘れば出てくるし、掘らなくても沸いている。しかし、そこが温泉場にならないのは辺鄙すぎるため、客が来ないからだ。そのため秘湯など珍しくはない。
 浦神渓谷は露天風呂ではなく、内湯で、普通の風呂だ。その湯が温泉で、汲んできたもの。今はパイプで流し込んでいる。
 別名、行者の湯と呼ばれ、一般の人ではなく、山伏や行者など、その手の人が使う定宿。昔は山小屋のようなもので、客がいないときは無人。また宿の主もいない。
 今は四軒ほど旅館はあるが、これは民宿のようなもの。その四軒の家族は住人でもある。つまり、民宿を経営しながら山仕事などをしている。客がいないときは、この四つの家族だけが全人口の小さな村落。しかし昔は無人の湯治場だったのだから、増えたことになる。
 最近は行者も普通の人で、プロの山伏や修験者ではない。そういう客が団体で来る。行場は周囲の山岳地帯で、特に名のある御山ではない。知られていないだけの行場だ。これも昔ならいくらでもあったのだろう。
 行者といっても普通の人、サラリーマン一家や、商店主の家族などが泊まりに来る。また、大きな企業が研修会で来る。ただのレジャーだ。
 昼間はさすがに山に入っているが、夕方前に戻ってくる。そして深夜まで宴会が続く。宿の部屋数は少ないのだが、大部屋があり、そこに詰め込む。まあ、修学旅行のようなもの。
 問題は夕方から夜中までの過ごし方で、個人で来ている人は宴会もないため、暇で仕方がない。それにずっと宴会では飽きる。
 狭い渓谷、川沿いに括り付けられているような場所のため、夜になると見るべきものがない。旅館通りから離れると真っ暗だ。宿の玄関先や縁側などに土産物を並べたりしているが、そんなものはすぐに見終わってしまう。温泉場らしくスナックやバーのようなものが欲しいところだが、それを建てる場所がない。
 昼間神妙な顔で揃いの修験者スタイルで山場を歩き回っていたためか、それが終わった瞬間温泉に入り、そのあとは浴衣がはだけるほどのらんちき騒ぎになる。これは精進落としなのだ。昔はそこに見かけぬ酌女が現れたようだが、今は子供も一緒なので、飲み疲れて雑魚寝をしている程度。
 宿の裏側の崖っぷちに、昔の本物の行者が残した小さなお堂があったらしいが、今は敷石しか残っていない。しかし崖に彫られた磨崖仏がある。しかし見に来る人はいない。
 
   了

 


2016年4月10日

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