小説 川崎サイト

 

青天井


 その昔、景気がよく羽振りもよく、倉も建ち、天井知らずの青天井で、何処までも上がっていくと思っていた義蔵だが、今は本当の青天井になってしまった。天井どころか屋根がない。
 しかし、雨になれば軒下を借りたり、適当な建物に潜り込める。ただ橋の下はだめだ。余程幅の広い橋でない限り、横からの雨では何ともならないし、しぶきがかかる。それに場所が川なので、湿気ており、こんなところで寝るのは身体に悪い。
 義蔵は青天井の勢いは失ったが、青天井を得た。
 こうして没落した人達が集まっている村があると聞き、義蔵もそこへ向かった。同類相哀れむで、類は類を呼び、類は集まる。身の回りにそんな人が多いと、安心する。これは小さな世間で、向こう三軒両隣、似たような境遇の人達なら気楽だろう。
 その村、訳あって廃村になったらしいが、村人がいなくなったのは古い話ではない。まだ建てて間もないような農家も残っている。
 ここで、この青天井の人達は気付くべきだったのだが、大屋根のある大きな家で、しかも畑もあるし、山の幸、川の幸もそれなりにある。
 村人が伐り出した木が、そのまま残っていたりする。しかし、ここは誰かの土地で、無宿者の土地ではない。いつかは追い出されるのだろうが、それまでは安住の地だ。
 それら農家の入り口に何やら書かれているのだが、それはマジナイの御札。どの家もその御札が戸口にある。中には地蔵菩薩などが列を作り、母屋を取り囲んでいたりする。まるでペットボトルで猫を寄せ付けないように。
 これを見れば、青天井の人達も分かるはずなのだが、分かった上で棲み着いた。これ以上落ちようがないためだ。失うものがない。
 どの家も家具類は一切持ちされている。これは引っ越したのだろう。逃げ出したとみるのが当然だ。そして、あの御札。
 青天井の人達が、それなりに落ち着いた頃、それが始まった。
 その中の一人が大きな蛇、これは青大将だろう。それが八の字になって死んでいるのを見て、ぞっとしたようだ。何かに襲われた形跡はない。傷がない。
 御札でも地蔵菩薩でも効かない何かに襲われたのだろう。
 今まで意識して耳に入れていなかったのだが、山鳴りがする。大雨のあとならあるかもしれないが、それが地滑りの前兆ではなく、不気味な山音のような響きなのだ。それは実際空気を振動させている。
 山間の村なら、そういう音がするのかと思っていたのだが、しばらく暮らすうちに、気味の悪い音に聞こえだした。
 村人が逃げ出したのは、この音かもしれない。
 やっと見付けた安住の地だが、村人と同じように彼らも逃げ出した。村そのものが呪われているのだ。
 この村はそれなりに古い。何代もここで暮らしていたはず。だから、この異変は最近のもの。
 数日後、村は無人になった。一人残らず逃げ出した。幸い持ち出すものが少なかったので、素早かった。
 この村、今はあとかたもない。やはり地滑りで土砂の下に埋まったためだ。
 あれはやはり山津波前の山鳴りだったのだ。
 
   了

 


2016年4月15日

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