小説 川崎サイト



ここまでの人

川崎ゆきお



「まだ、これからですよ」
「もう、ここまでですよ」
「意見が合わないようですな」
 まだまだやる気十分な中野が諸星に言う。
「じゃあ、定年後もまだ働くつもりですか? 中野さんは」
「十年前から準備はしているんですよ。ソーホーって感じで、まあ、自営で」
「私は定年がゴールでして、やっとたどり着けたので、もう休みますよ」
「老兵は去るですか」
「定年でやっと去れるわけです」
「退屈しますよ。それに一日家に居ると嫌われますよ。私は事務所を借りて、そこへ出勤です。会社がもう働かせてくれないんなら、自分で会社を起こすだけのこと……ですよ」
「元気で何よりです。私はもう疲れましてね。身も心も休めたいです。あとはのんびり暮らしますよ」
「それも生き方ですがね、気が向いたら手伝いに来てくださいよ。信頼出来る相手と組みたいと思っています。諸星さんは家老タイプなんだな。城代家老として城を守る感じだ。安心して任せられる人物ですよ」
「そういえば会社でも、そんな役職だったかな」
「適材適所。優秀な守備の人ですよ。意外とね、そのタイプ、起業家には少ないんですよ。出たがりばかりですからね」
「じゃあ、今度は家を守りますよ。手をつけてないところが沢山ありましてねえ。犬小屋も建て直す必要があるし、家内が庭を日本庭園のように造ってくれないかって言うんですよ。これだけでも一生かかるやもしれません」
「勿体ないですよ。諸星さんはその人材を世間でもっと役立てないと」
「地域デビューって言うんですかね、自治会とか、ボランティアの寄り合いのようなのに参加するやつね。私はどうも苦手でね。この年になって、人で苦労したくないですよ。新人になるわけでしょ。もうその道は若いとき一度通れば沢山ですよ」
「いやいや、諸星さんのその神経の行き届き方こそ評価されるべきなんだな」
「まあ、これからは、炊事洗濯もし、家でも邪魔にならないように暮らしますよ。スーパーで買い物は好きですしね」
「いやいや、まだまだこれからですよ諸星さん。一緒にまた仕事をしましょうよ」
「もう、ここまでですよ」
「いや、まだまだ」
「もう、ここまで」
 
   了
 
 



          2007年3月10日
 

 

 

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