小説 川崎サイト

 

高天原


「高天原というのは最近でしょ」
「え」
「天孫降臨も最近ですよ」
「どういうことでしょうか」
「田圃があったし、機織りもあった」
「あ、はい。スサノウノミコトが暴れたのでしょ」
「稲作が始まっていた。だから最近だよ」
「それは古事記とかの神話ですから、その時代にある程度合わせていたのでしょ。それにイメージの問題もあるし」
「そこなんです。まだ田圃などなかった高天原が見たい」
「それはいつの時代でしょう」
「弥生以前、縄文時代」
「それは古い」
「縄文時代や、その更に前の時代の神様はどうだったのか。どんな神様がいたのか」
「動物だったんじゃないですか」
「動物」
「熊とか」
「ほう」
「でも熊は地上の生き物ですからね。高天原は地上じゃないでしょ。降りて来られたわけですから」
「だから、それは高い山からだよ」
「え」
「高い山」
「そのままだ。高山」
「飛騨」
「そう、飛騨高山が高天原だ」
「来ましたねえ」
「何が」
「いつものインチキ臭い話」
「それよりも興味があるのは、稲作以前の神様だよ」
「それは地上ですか」
「そうだ」
「それなら、縄文人の神様でしょ」
「それそれ」
「思い付きません。動物とか山とか川とか、空とか海とか、太陽とか、月とか、星とか、そういった自然界が神様じゃないですかね」
「人型じゃなく」
「もし人型なら、どんなのを着ていたのかでしょうねえ」
「それそれ、素っ裸じゃ猿だし」
「猿でも毛が生えていますから様になりますよ。人も昔はもっと体毛があったでしょうが」
「要するに、神様はイメージだ」
「はい」
「だから、縄文やそれ以前の人達はどんなイメージを持っていたかだ」
「土偶などはどうです」
「誰が土偶と言い出したかだ」
「あれは宇宙服を着たパイロットじゃないのですか」
「すぐに宇宙へ行くのはまずい。もっと地べたにとどまるべきだ」
「地べた」
「人々が暮らしておる世界。そこで発生する神」
「土着の神ですね」
「うむ」
「それなら日本だけではなく、世界を見れば分かるんじゃないですか。その時代、どんな信仰があったのか」
「神イコール信仰か」
「はい、抽象概念ですからね」
「必要になって、生まれたのだろうか」
「さあ、それは分かりませんが、土着じゃなく、ワンクッションが必要なんです」
「ワンクッション」
「地上ではなく、もう一つ違う世界が」
「それが高天原か」
「天国でも、海の彼方でも山の彼方でも、空の彼方でもいいんですが、それは実際には繋がっていません。別世界です。そういう箱を作らないと、神は出てきません」
「箱」
「だから、想像上の空間ですよ。そこに神がいる。だから地上では発生させにくい。別次元じゃないと。これがワンクッションです」
「ほう」
「神様が山の奥から出て来られたのでは、その場所が特定されます。山の頂上でもいいですが、そこが発生場所だと。それでは近すぎるのです。神様の住処を捜し当てられてしまいますからね。だから、山もいいのですが、その頂上へ降りて来られる方がいい」
「何処から」
「ですから、上からです。そこは地上でもないし、空中でもない」
「そんな世界はありえん」
「だから、そういうのを想定しないと、神様は作れない」
「じゃあ、動物の神はどうだ」
「あれは、自然一般の摂理ですよ。それを言っているだけ」
「では神の世界は空想の世界か」
「そうではなく、説明できないのですよ」
「何が」
「ですからそういうフィクションに乗せないと、うまく語れないためです」
「それはどういうことか」
「だから、言語の限界がありますから、言語化できないイメージの世界なんです」
「難しいことを言う」
「まあ、人間の言語能力では捉えきれない世界があるのでしょう。ただ、イメージ的に掴める人もいたのでしょう。イメージといっても映像じゃないですよ。直感のようなものです」
「では高天原もそうか」
「それはワンクッションの箱です。そんな高天原はいくらでもあるでしょう」
「言語化できないのなら、話しても仕方がないのう」
「でも、神の証明は皆さん失敗していますから、言葉では無理なんですよ」
「そうか、しかし、高天原に田圃があったのが気になる。最近の話じゃないか」
「はいはい」
 
   了



 


2016年4月20日

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