小説 川崎サイト



相席

川崎ゆきお



「ここ、いいですか?」
 返事はない。
「あのう、ここ、いいですか」
 会田は満席の喫茶店で相席を申し出た。
 四人がけテーブルに座っている男が目覚めた。
「ああ」
 男の声は小さいが、顔を上下に振ることで補った。
 会田が座ると、ウエイトレスが灰皿やおしぼりを運んできた。
 男は、もう居眠れないのか、瞬きを繰り返している。外回りで働いているのか、スーツ姿で、大きめのビジネスバッグを横に置いている。
 会田は、タバコを吸い、本を読み始めた。
 男は瞬きを終えると、瞼が半開きになった。視線は真下を向いている。
 分厚そうな瞼が徐々に上がり、やがて水平方向を見据えた。そこに会田がいることは承知しているはずだ。
 そして男は会田を見た。
 会田は視線を受けたことに気付き、ちらっと見返した。
 男は何度も会田にピントを合わせている。
「君は……」
 男が話しかけてきた。
 会田は本から目を離した。
「覚えてないかな」
 会田は覚えていない。しかし、話しかけてくるのだから、それなりの過去があるはずだ。男はありふれた中年の顔で、一度顔を合わせても印象に残るタイプではない。
「面接に来たでしょ」
 会田は、どの会社の面接だったかを思い出そうとしたが、両手の指では数えられない。それに面接官の顔などまともに見ていなかった。さらに、すべての面接に落ちていたので、忌まわしい記憶として削除している。
 男は社名を言った。
 会田はそれさえも忘れている。
「僕は覚えているよ。悪かったねえ、落として」
 会田は人違いを疑った。
「会田さんでしょ」
 男の記憶力に会田は驚いた。
「母の実家の姓が会田なんで、覚えていたんだ。もしかして親戚かもしれないと思ってね」
 会田は合点がいった。面接会場の場所を聞き、やっと思い当たった。行った記憶だけはある。
「あれから数年かな。僕は採用を押したんだけどね。常務がハネた。もしかすると、今頃一緒に回っていたかもしれないなあ」
 男は再び瞼を下ろした。
 会田は本に目を移したが、読めたものではなかった。
 
   了
 
 


          2007年3月11日
 

 

 

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